先週の出来事ですが、江別市と札幌市東区にある保育園でこどもたちと外で遊ぶプログラムのお手伝いをしてきました。
東区にある保育園へは雪がある頃から参加しており、既に顔を憶えてくれている模様。
江別市にある保育園は、プログラムが始まったばかりなのでまだ躊躇が見られます。
しっかぁ~し。
お外に出てしまえば、関係ありませんでした(笑)
ざっくりな説明で恐縮ですが、それぞれの遊びについては
江別市・・・園庭にある小さな山でダムを作る どろんこ遊びなど
札幌東区・・近くの公園で虫取りや秋の気配を探したりなど
ということをテーマにしました。
で、こういったテーマは「いい意味」で、しばしばどこかへ行ってしまいます(笑)
理由はやはりこどもたちでしょう。
こどもたちを見ていて思ったのは
・加減を知らない
・全力で取り組む
・先入観に捉われない
・自分をしっかりともっている
・意思表示が明確
かな~と思ったのです。
もちろん、これ以外にもたくさんあります。あくまで、この活動で感じたことです。そしてこれらのことは、一部大人にも当てはまってきます。そして一部は何かしらの「まっとう」だと思われる理由もしくは、自分だけの都合で手放してしまいます。
遊んでいるときは、こどもたちがどんな遊びに興味を持ってくれるかの試行錯誤が続きます。予め用意していたもので遊んでくれないということもあります。道具ではなく、人と一緒に遊ぶほうが好きだというこどももいます。要するに多種多様であり、ひとりひとり違うということです。
そのように見ていくと、画一的にすることを優先的に考える社会とは・・・と考えてしまいます。決して悪いわけではないのですが、それが唯一の選択肢と考えるには、無理が出てきているということです。
ぼくは高校まで、決して「できる」側の人間ではありませんでした。逆に「使えない」と蔑みの対象になることが多かった側の人間でした。今思うとよくそんな空気の中で生活を送ることが出来たものだなと思います。今ならば、登校しないことを実行していたと思います。
何度か社会に出てみて感じたことは、社会とは結構息苦しいところだな、ということ。
それでも実際に社会で働き、お給料をいただいて生活してきました。その結果、心身ともに疲弊してしまいました。生きるために必要なお金を得るためにやったことは、自分を削る行為だったのだと、かなり落ち着いてから考えることができるようになりました。
現在、ぼくはこれまでとはまったく違う分野での活動に身を置いています。
ただ、これからは短期の仕事等でこれまでいた社会に再び身を投じるかもしれません。
まだまだ苦しむ必要がある。
どこに行っても苦しみは存在する。
そんなふうに思えば、仕事に対する姿勢も少しは変わってくるのかもしれません。
子どもたちと遊ぶ時間は、大人にとっては予想以上の体力を使います。
子どもたちの体力は、底なしに感じるからです。
だからこそ全力で向き合うことが必要です。全力で遊ぶことも必要です。
自分が全力ではないのに、全力を出そうとしないのに、相手に全力を求めてもダメだと思います。なぜか?それは結局、他者の全力がわからないからではないかと思います。ペースを保ちながらやらなければならないこともありますが、全力を出さなければならない局面もあります。それをどう当てはめていくか?いつまでも同じルールで判断しては、どこかで大事なことを削ぎ落とすように感じてなりません。
たとえ数時間だけの活動だったとしても、これだけ感じること、学ぶことがありました。
場所と人が違えば、入ってくるものも大きく変わります。
これからも、この活動を続けていこう。
それが、軸になっていくのだと感じたのでした。