どんな些細なことでも、前に進んでいると思えるように。
先週あたりからとあることに着手しました。
それは、多読で読んだ本につけた付箋の箇所にある「言葉」をノートに書き留めていくというもの。
図書館などから借りた本については返却前にノートへ書き写していたのですが、自宅にある本に関しては、長らくダンボール箱に保管したままでした。
しかしその箱数も5箱目に突入し、1年の4分の3が過ぎようとしていたため、このたび着手することにしたのです。
そう。これも立派な「先延ばし」でした。
内心、溜め過ぎた、と思っていました。
最初は「やらねば!」と思っていたのが、箱数が増えるごとに少しずつ萎えていきます(笑)
ですがいつかはやらねばならないこと。
もし書き留めなかったとしても、これらの本のほとんどは処分をしなければなりません。
そんなモヤモヤを抱えていたのです。
それが先日、何の抵抗もなく作業を始めることが出来ました。
現在、日記に書くネタと言いますか、中々考えて書くということが出来ないでいます。
そのため、「じゃあ既に書かれている言葉を書いていこう」という考えに切り替わりました。
最初は「こんなに書くのかぁー」とひとり嘆いていましたが、現在のところ無事1箱目が終わり、2箱目に入っています。
書いていますと、1冊1冊のおおまかな内容がフィードバックされてきます。
加えて、この本を読んでいたときの環境のようなものが見えているのが不思議です。
付箋を貼った場所を再度見返し、ノートに書くかどうかを決めてから行動に移しています。中には付箋をはがすだけで、ノートに書かない項目もあります。その理由は単純に「既にある」からなのだと思います。以前と今とでは、着実に「いる場所」が異なっているようです。
これまで、いろんなジャンルの本を読んできて、言葉を浴びてきました。
そのうえで、紡ぎだせる文章があるのだと、変わらずに考えています。
しかし現状は、出口が詰まってしまったような状態。どうやらすんなりとはいかないようです。
整理整頓は、自分の「内外」をすっきりとさせる効果があります。
言い換えると「明瞭に」といった感じでしょうか。
生活を重ねていきますと、ああ、またこんなに積み重なっていたんだと思うものは意外にも多くあります。それらを短期間に、一気に片づけていくことで、明らかな違いを実感できます。
がらくた整理は、1度体験しただけでは、やはりだめなのだと思う。
何事もそうだけど、1回やっただけで「もう大丈夫」というのは、そうそうない。
住んでいるところが変わらなくても、いろんな「環境」がある限り、それらの変化は発生するし、その結果「たまる」ものは出てくる。それらを見返す機会は必要なのだ。
本を読んで、それはわかっている。
という方は、過去と比べると大きく増えたと思う。
が、手を付けない人のほうが、全体の割合としては多いのが実情だ。
もったいない、と思う。
この世の中、情報だけは洪水、もしくは雪崩のように入ってくる。
だからつい「知ってるつもり」になってしまう。
しかし、決して経験はしていないのです。
その差は、とてつもなく大きいのです。
しばらくのあいだは、それを自分で証明するしかありません。
証明というとおこがましいかもしれない。
でも、「自分を変え続ける」ことをやめないと言えば、おこがましくなくなるだろうか。
いま、順調に書き留める作業は進んでいます。
年内には、半分程度はオークションに出品が出来るものと思います。
ダンボール、5箱。
これがすべてなくなったときに、どんなことが訪れるのでしょうか。
先日、こんまりさんの本を読み返していたら、「片付け祭」との記載がありました。
そうだった。片づけは、決して苦しむためのものではなく、楽しむものなんだ。
そう考えると、少し気楽になりました。
ぼくも気持ちを改めて、がらくた整理を楽しむことにします。
きょうまでに読んだ本
テミスの休息 藤岡陽子 祥伝社 (256)
本と映画のはなし。 POPEYE特別編集 マガジンハウス (257)
教団X(エックス) 中村文則 集英社文庫 (258)
毎日がときめく片づけの魔法 近藤麻理恵 サンマーク出版 (259)
絶望の国の幸福な若者たち 古市憲寿 講談社+α文庫 (260)
「自分らしさ」はいらない 松浦弥太郎 講談社 (261)
ソトコト 2017年9月号 木楽舎 (262)
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