はらいたまえ きよめたまえ
台風18号が、日本列島を縦断していきました。
北海道へはきょうの未明ごろから、明日までその猛威を奮いそうです。
夕方のニュースでは、各地の被害や状況などが報告されていました。
昨年に続き、今年も。
台風は毎年発生し、高確率で日本列島を通過します。
そこで、素朴な疑問が生まれました。
「なぜ、台風はこうも見事に日本列島の上を通っていくのか」
科学的見地から見れば、この時期の気圧の配置から、日本列島を通過しやすい環境になっているということができると思います。
では、非科学的見地から見ればどうなのでしょうか。
たまに読むとある方のブログに「禊(みそぎ)」ということばが書かれていました。
それを読んだぼくは、ああ、なるほど、と思ってしまいました。
これは日本列島だけの話ではないですが、疲弊している土地は世界の至る所にある状況なのだと思います。その背景としては気候が大きく変動していることが挙げられますが、その根本を探っていくと、そこには人間との関わりがあるように思います。
これまでの人間の行いは、果たしてどうだったのか?
それを容易に判断することは出来ませんが、その後の展開とし、現在の気候状況が生まれたのであれば、権力者に限らず、わたしたちも日頃の生活を見直す必要があるのではないかと思っています。
仮に、人間の行いに問題があったとして、何故その人間に「禊」が行われないのでしょうか?
たまには特定の人間にそのような出来事が起こったりしますが、問題を起こした人間すべてに禊が起きているわけではありません。無論時間差もあると思いますが、その点については等しくとは言えないと思います。
じゃあ、どこで禊を起こしているのでしょうか?
それは、自然環境に対しての「禊」として反映されています。
仮に「神」という存在が「在る」とした場合、その存在が手を下す対象は「人」ではない。
その対象は「自然」のみなのでは、という考えが出てきました。
※この場合、いきものを対象とはしていません。
大いなる存在が人に対して手を下すわけではないという考えは、既に多くの先人が述べているところです。また、世界的に奇跡とも思える現象等が確認されていますが、それを「神」の計らいであることを「証明」することは何一つ出来ておらず、すべて推測のうえでの判断となっています。経典や教義の上での判断としても、それは結局人間同士の協議による判断でしかありません。
いまのぼく個人の考えとして、大いなる存在として定義している「神」は、最初の一手、もしくは一滴を投じたに過ぎません。そこから生まれる波紋は、すべて、投じた時点で「委ねている」ので、その手を離れている。その一手の中に、すべてプログラミングされていると考えても面白い(表現が適切ではありませんが)のではないかと思います。
いきものの中で、神を求めるのは唯一「人間」だけです。
他のいきものは、ただ与えられた命を生きているのみです。
この違いを、知るべきだと思いました。
冒頭に載せた写真はきょうの午後4時頃のもの。
雲のあいだから晴れ間がのぞいています。
時おり風と細かい雨が降っていましたが、台風はかなりのスピードで北海道を通過しそうです。
わたしたちはもっと、日頃の行いに目を向け、どのように生きていくかをしっかり考えていくべき。
それが押しつけではなく、スマートに実践ができるようになればと思いました。
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