カリンパニ最終日を迎えました。
ダンマーディッチャでもそうでしたが、ここカリンパニでの最終日の様子を、あまり覚えていません。
ただ何となく記憶に残っているのは
・朝食を用意した
・朝食を用意後、すぐ昼食の準備にとりかかった
・施設の清掃を行った
・参加者を含めた全体ミーティングで喋った
・寝た(笑) ※昼寝
と、こんなもん。
最終日だから楽・・・という訳ではなく、最終日だからこその忙しさがありました。
しかし、ダンマーディッチャでも感じたことですが、最終日に行った瞑想は、その他の日の瞑想とはくらべものにならない「何か」を感じていました。
この日もお昼まではほぼ厨房。
ごはんを炊いて、おにぎりをつくって。
この日はこの合宿の運営に携わっていただいた地元のかたたちもいらっしゃり、清掃や原状復帰、食事の用意などを手伝ってくれました。
その後原状復帰もほぼ終わり、食堂で昼食をいただき。
ふらりと校庭を歩き。
あらためて建物内を歩き。
いろんなことを考えながら、いつのまにか畳がある部屋で寝ていました(笑)
いや、一気に疲労が、ね・・・
集中の糸がぷつん、と切れたような感じになりまして、一気に活動停止になってしまいました。
それだけ、ここでの日々は心身に負荷をかけていたんだなというのがよくわかりました。
前半はうまく立ち回りが出来ないこと、意思の疎通がいまくいかないことで「勝手に苦しみ」、アシスタント指導者を頼りました。
後半は悩むことを捨てつつも、苦しみ抜くことを心に決めて日々の奉仕に務めました。苦しみは前半と変わらず、すぐそばにありましたが、自分の接し方が変わっていました。
千葉のダンマーディッチャでもそうでしたが、期間内は苦しみの連続でした。
途切れる時間など、全体のうちのほんのわずかな時間です。
まだまだ未熟者ですが、経験して言えることは、人は誰も「苦しみから逃れたい」と反射的に考えるように「出来ている」こと。そのよう仕組みがあるからこそ、苦しみを倍加させているのではと感じています。
実はこの日、人知れず号泣しています。
それは、昼食をアシスタント指導者のいる部屋に運んだときでした。
最終日なので荷物の梱包など、スケジュールがタイトになっていました。この時も食事だけ運び、早々に立ち去るつもりだったのですが、声をかけられました。
そのとき、どのような声をかけていただいたかは、憶えていません。
期間中にかけていただいた声の中で憶えていることは
「苦しみは気づくための試練」
と教えていただいたことでした。
最終日も、今回の総括のような感じでかんたんに話していただいたのですが、ぼくのほうが言葉に詰まりました。そして、泣きました。声をあげて泣きました。じぶんの苦労が認められたわけではなく、気持ちに共感していただいたわけでもなく。そこが不思議なところですが、ただ泣きたくなった。自然と涙が出た。それだけのことでした。
カリンパニにおいても、連絡先交換などは行いませんでした。
もう逢えないかも、とは思いませんでした。
何となくですが、また逢えるような気がしてなりませんでした。
ただ、ニセコに住むひとたちを見て、この土地が気に入りました。
純粋に、また来たい、と思いました。
この日のニセコ地域は午後までは快晴だったのですが、次第に雲行きが怪しくなってきました。思わず昼寝してしまったときは、気温も高く、風が気持ちいいと感じられていましたが、その風が一気に冷たくなり、周りが暗くなって目が覚めてしまいました。
寝起きは最悪(笑)
そんな状況下で、今回奉仕したひとたちで記念撮影を。
ああ、こんなこともあるんだなって思いました。
そして、別れの時間がやってきます。
午後3時前後に出る小樽行きの列車に乗るためでした。
幸いにも、同じく奉仕をしたかたが車で駅まで送ってくれました。
車内では特に期間中の何かについて話をしたということはありませんでした。
いまではそれが少しもったいなかったように思います。
ただ、また語り合う日が訪れるだろう。
そんなことを考えながら、ニセコの駅で別れました。
窓口で切符を買って、ホームで列車を待っているあいだ。
きょう、ここから、ぼくは始まるんだなと思いました。
カリンパニで迎えた夜明けは、新たな方向を指し示しているかのようでした。
きょうまでに読んだ本
私のススキノ回顧録 「財界さっぽろ」編集部:編著 ざいさつアップル新書 (263)
感情8号線 畑野智美 祥伝社 (264)
十五少年漂流記 ジュール・ヴェルヌ 椎名誠・渡辺葉:訳 新潮社モダンクラシックス (266)
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