つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

スピリチュアルを語るまえに、手足を使え! ~がらくた整理 ケーススタディ⑧~

 

かんたんにではありますが、その後の話しを少し。

 

 

 

お店は2月末に閉店。明け渡しの時期は忘れましたが、店主は5月に札幌を離れました。

このお店で知り合ったお客さんも多数いらっしゃいましたが、お店の雰囲気が影響したためか、その後のつながりは稀薄なものとなってしまいました。

 

よくも悪くも、関わった人の影響は受けるもので、そこで働いていた人、よく通っていた人などには、少なからずこのお店の、お店の店主の気のようなものが移っていたのではと思うことがあります。それは考え方であり、人との関わり方も当てはまります。

 

関わりたくないと思ったが最後、辛辣な言葉で相手を責めたてるケースもありました。

知っている限りですが、最後のスタッフであったAという女性も、人付き合いに関してかなり「穿った」目をしていました。ごちゃごちゃ書いても仕方ないのですが、店主の「悪い」ほうの性格が影響したケースであったと思います。 

 

 

 

お店でつながった人は当時SNSでつながっていましたが、そのときの「ノリ」で登録したものが多く、その後特に音沙汰もありませんでした。「いいね」をしてくれることもありましたが、個人的にはそれはコミュニケーションにはあたらないと思っているため、今後のつながりが想像できない人に関しては整理をさせてもらいました。SNSは頻繁に使用している訳ではないため登録してある全員が当てはまるのでは?と思うこともあるのですが、哀しいかな、仕事の関連でつながった人に関しては、仕事が途切れますと疎遠になってしまうもの。今後の広がりがイメージできなかったので、登録を解除した次第です。

 

実はその後、友人のピアノコンサートに行った際、お客さんの中にひとり気になるかたがいました。実はその方、かつてSNSでもつながりがあった人でした(汗)。想い出すまでしばらく時間がかかったということは、あの時の判断に間違いはなかったということにしておいています。恐らくお相手も気づいていることでしょうね。

 

諺に「たつ鳥跡を濁さず」というものがあります。

閉店はある意味仕方のないことだと思います。このご時世、飲食店以外でも、続けていくことはとても大変なことだと思います。注目すべきはその「仕舞いかた」。終わりにするからもう関係ないや、と考えてしまいますと、その想いが訪れた人に影響を及ぼすというものです。というのも、正反対の仕舞いかたを見ているからです。昨年秋に閉店した長岡式酵素玄米を出すお店が、理想的な仕舞いかたをしたお店でした。

 

 

 

お店は、人と人とが関わる大切な場所です。

お店を経営されるかたの責任は、本人が自覚するよりも大きいです。

お店を経営したことはありませんが、仕事で現場をあずかり、管理することに共通するものを強く感じました。

 

 

 

がたくた整理は。

 

自宅で行うものとお店や会社で行うものとはその範囲が異なりますが、基本は自分の手足を使ってやるべきものだと改めて感じました。

 

これにはちゃんとした理由があります。

 

きょうの出来事ですが、大掃除の一環でタンスの中の掃除を行いました。

タンスの引き出しから衣類などをいったん「すべて」出し、細かなゴミを掃除機で吸い取り、また元の位置に戻したのですが、不思議なことが起こりました。

 

掃除前の状態では引き出しの中は既に隙間がない状態であったものが、掃除後に戻したところ、なんと隙間が出来たのです。窮屈な感じもなくなっていました。

 

そこから見えてくることは、ひとつひとつ手に取ることで、自分の気(エネルギー)が触れたものに通ります。しばらく触れていないものと、触れているものとの差がここで出たのではと考えます。

 

お店にあるものはある種公共のものという位置にありますが、もともとはお店を管理する人のものになります。そのものに触れている頻度が少なければ少ないほど、愛着もなくなりますし、その後の扱いも大きく変わります。その場所が広がれば広がるほど、段々と荒んできてしまいます。その場所を業者等に依頼し、撤去してもらうというのも手ではありますが、どこかで手足を使い、実際に「把握」するタイミングが必要なのだろうと感じました。それは決して「目で見て判断する」ことは含まれていません。あくまでも、自身の手で触れることが大前提になります。

 

 

 

今回経験した「ケーススタディ」。

行った場所はお店でした。これまでお店でのがらくた整理は経験したことがなかったので、反省とともに貴重な経験を積むことが出来ました。持ち主のマインドや不要となったモノの処分、周りに与える影響など、自分が想像したことよりも広大な世界が広がっていることを痛感しました。決して成功とはいえない、悔いの残る経験となってしまいましたが、それはいち個人がどうこうするという範疇を超えているものかもしれません。それを判断するには今しばらく時間がかかりますが、この記憶を忘れずにいきたいと感じています。

 

がらくた整理は。

 

決して、ラクなものではありません。

いちばん身近な掃除も、ラクなものではないと思います。

 

しかし、実は「掃除をする人がいちばん偉い」という話があります。

面倒なことを率先して行うということが、実は尊いことなのだという話です。

これを他者に任せてしまうことは、視点を変えれば「もったいない」ことになります。

幸せになるための要素を、放棄してしまっているかもしれないのですから。

 

 

 

今年も残り数日です。

これから大掃除というひとも少なくないと思います。

掃除は、がらくた整理の基本であり、応用でもあります。自分を変えるシンプルかつ究極の方法です。雑誌で特集を読むのも、テレビの特集をチェックするのもいいですが、実行に移さないと意味はありません。知識にしていては無意味なのです。是非ご自身の手で経験されることをお勧めします。是非ご自身で、すっきり感を味わってください。

 

がらくた整理は、悟りを促します。

ただ、悟りを得たからといって、それで終わりにはなりません。

悟りは、次の疑問と気づきを生みます。

つまりは、エンドレスです。

その積み重ねが、よりよい生活へとつながっていくことを、ひとりでも多くのかたが気づいてくれるといいなと願います。

 

 

 

 

がらくた整理 ケーススタディ -了-