つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

ひとつの「自己責任」のカタチ。

今週、水曜日の夜のことでしたが、地震に遭いました。

 

浦河は様似町の近くのため、震度は4ほど。

弱い横揺れが時折強くなりましたが、大きくなることもなくそのまま治まりました。

 

そのときぼくは出張に来ている方たちと外食中でした。

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繁華街の一角。

 

 

 

 

震源青森県側にあったそうですが、緊急地震速報のアラームが鳴りました。

そのときはすでに飲んでいましたので、「なにごと!?」と思ってしまうほど。

その後すぐに地震とわかり、その数秒後には揺れが始まったという流れです。

 

今回は津波の危険もなく、大した被害もないようだったのでよかったのですが、これが大規模なものであったならば、自分はちゃんと避難などの行動をとることができるのだろうかと宿に帰ってから考えてしまいました。

 

 

学校に通っていた時には避難訓練というものがありました。

会社に勤めるようになってからは、その頻度が極端に減りました。

おそらく、会社のスケジュールではなく、ビル側のスケジュールに則ってのものだったのではと思います。

避難するということを頭で覚えていても、体では忘れている。

そんなアンバランスな状態になっているんだなと思ってしまいました。

 

現在は出張が多いため、宿泊したホテルに入る際、避難経路はちゃんと確認するようにしています。

しかし、自分の生活している地域での避難場所などについては、あいまいのまま。

そういう存在があることは知っていても、どこにあるかはわからない。

放置したままでいると、いざというときに大変なことになるかもしれない。

しかし現状は特に困っていないから、そのうち確認しよう。

という、ちょっとした先延ばしができていたんだなと実感してしまいました。

 

いつだったかニュースで、航空機がトラブルで動けなくなり、避難用の通路(というか滑り台)を出して機内にいる人たちを外へ出すというときに、こんなことが起こったそうです。

 

なんと、乗客のほとんどが、自分の手荷物をもって機外へ脱出したとのこと。

これには驚きましたが、その結果予想外の出来事が起きました。

 

それが、トラブルが起きた飛行機が立ち往生したというもの。理由は、脱出の際乗客が持ち出した荷物が飛行機の「前」に固めて置かれてしまったため、身動きが取れなくなったというものでした。

 

その後の報道は確認をしていませんが、これってかなり怖いよな・・・と思います。

かんたんに言えば「ルール無視」です。

 

脱出する場所が地上で、飛行機がまったく動いていないからといって、「荷物を運び出しても問題ない」という理由にはつながりません。おそらくですが、脱出したひとたちはそのルールを「知りながら」、そのような行動を取ったか、もしくはルールそのものを「知ろうとしなかった」可能性があります。

 

なぜ「知ろうとしなかった」と書いたかといいますと、飛行機に搭乗した際、機内のアナウンスや座席の前のポケットに非常時に関するガイダンスが入っています。つまりは否応なく目にも耳にも触れます。そのような中でもルールに従わない行動を取ったというのは、実はかなり問題ではないかと思います。モラルの問題でもありますし、現代的な風潮の一角を見たという気にもなりました。

 

昔からかもしれませんが、人はどこか「自分は許される」みたいな根拠のない黄金則を振りかざして行動することがありますが、そこには常識の範囲内で通用する理由や根拠が伴ってこない場合があります。交通ルール等も含め、これぐらいはいいだろうという軽い(もしくは大胆な)気持ちで行動し、悪びれた様子も見せません。無知であることとは違い、意図して行っているこれは、ケースによっては処罰の対象となるくらいの重要性を抱えているものとなります。ことわざに「郷に入っては郷に従え」ということばがありますが、優先すべきルールに合わせず自分勝手に突き進むというのが、全世界的に起きている事実だと思います。

 

 

自分のルールも大切ですが、周りにあるルールも大切です。

 

ルールが存在している理由を考えることが足りなくなってきている。

 

「論」を明確にしない、できないからこそ招いてしまう惨事が、今後起きてくるかもしれません。それがその人自身の手で引き起こしたときに、ある種の「試し」が行わることになります。それを果たすことも、その人の責務になるんだろうなと考えていました。