つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

それぞれの融けかた。

ここ数日の函館。
雪融けが進んでいます。

全国ニュースでも流れているとおり、北海道は大雨の様相となっているとともに、強い風が吹くようになりました。



さまざまな現場を移動しているのですが、室内にいたときに雪融けの水が屋根から滴り落ちる音を聴き、二重窓のひとつを開けて見たところ、このような光景が飛び込んできました。



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なんとまぁ、立派な。
確かせっぴといったかな。
ここまでせり出ているのは珍しいです。

撮影した場所は人が歩く場所ではなかったので、このまま下に落ちていくのだと思います。が、気をつけたいのはこの時期の除雪。特に屋根の雪降ろしです。この時期は雪が一気に下に落ちる傾向があります。一歩間違えれば雪崩のような状況に呑み込まれる可能性があります。



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これの下敷きになったら、ひとたまりもないことを注意しておきたいです。


雪融けが進むなか、各地では除排雪が滞っている状況にやきもきしている地域も出てきました。雪も、そして雨も、例年より多くなっているようで、日頃普通に生活ができることのありがたみを感じます。

函館の主要道路はおおよそ雪が融けていますが、一本細い道を入りますと、アスファルトと氷の凸凹路面などが姿を表します。こうなると普通に通行することも難しくなりますので、春が訪れてきているのはごく一部に感じました。




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雪融けという言葉は、季節の変わり目のときに使われるほか、心境の変化という意味でも用いられることがあります。



今週末、3月11日を迎えます。
報道番組を見ていますと、あの日の記憶と、それからの生活などを特集として放送していました。

ぼくが見た特集ですが、この春高校を卒業し、震災で亡くなってしまったお母さんと同じ職業に就くことが決まっている方のインタビューが流れていました。

その中で驚いたことがありました。
その方は自分がまだ小学生の頃、亡くなってしまったお母さん宛に手紙を書いたそうです。その手紙の一文にこのようなことが書かれていました。


「つなみをうらまない」


当時としては、この言葉を出すのはとても難しいことではないかと思います。正直、無理やり引き出したもののように印象が残ります。

反面、この決意と覚悟はすごいものがあります。ひとつの悟りのように感じました。理解しているしていないではなく、どこかでそれが最適で最善だと辿り着いたのでしょうか。見ていて、とても立派になられたと感じました。



あのような大災害で大きなダメージを受けますと、恨みといいますか、負のエネルギーは際限なく溢れだしますが、実は人間関係や仕事などに関しても、同じような状況になることはあります。何かを恨むとき、人間はとても感情的になります。論理は通用しません。そういう人に限って「それはわかってる」と言うことでしょう。ぼくもその台詞は散々聴いてきましたが、結局は何もわかってはいませんでした。

少し変な言い方にはなりますが、恨むことを肯定するとして、どうして恨むことがいいのか、それをしっかりと説明することはできるのでしょうか。

それができなければ、恨むこともほかのことも、やめたほうがいいのではと感じました。


恨むことというのは、強硬な姿勢です。そうなると、雪も氷もしぶとく残ります。

反面、柔和な姿勢だとどうでしょうか。同じ状況であったとしても、捉え方は変わります。
捉え方が変わると、その後の展開も変わります。柔和なほうが、その「先」があることを知っていかなくてはと思います。

もし、いま。
どこかで頑固になっていることがあるならば。

どうすれば融けるかを、考えてみてください。
きっかけは、無駄にはなりません。
展開が訪れれば、頑固であったことも、すべて意味のあることだったのだと府に落ちる瞬間が訪れることを、確信しています。