つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

逃がすでは決して、ない。

当たりました。



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コンビニでのど飴とビール(組み合わせは無視してください)を購入したところ、店員さんからレシートを見せられ、「当たってますよ」との一言。


思わず

「まじっすか」

と言ってしまい、それを聞いた店員さんも

「まじっす」

と返していました。


聞くところによると、キャンペーンなどではなく、ポイントカードの情報などからランダムに当たるそう。ここのコンビニはよく当たりが出るんですよと仰っていました。



こんなささやかなよいこともあれば、たいそう残念を感じることもある。

ホテルの部屋に戻り、加湿器などの空調を稼働させてしばらくすると、どこからか人の話し声が聞こえてきました。

ホテルの部屋の壁はそんなに薄くはないはず。
また外国人観光客が大声で話をしてるのかーと思いきや、聞こえてきたのは日本語でした。


壁に耳を当てて 笑 みますと、どうやらお怒りの様子で、営業がどうのこうのとかなり興奮していました。しかも、その会話はかなり長く続いていたので、話し相手のかたが気の毒に感じました。


現在職場で、社員さんに
「とみーは会社で怒ったことがある?」
と聞かれたことがあります。

この答えは「まず怒らない」。
自分でも驚くくらい、怒りません。



理由はかんたん。
怒らないと相手の何かを指摘できないのか?の一点。
そこに必要性を感じなければ、まず怒りません。

逆に、怒らなければならないと感じて怒ることもあります。以前の仕事ですが、始業前にパソコンを立ち上げて必要なファイルなどを開くという作業があるのですが、研修を受けたにも関わらずそれを実行しない人がいました。それだけなら怒ることもないのですが、決め手となったのはその人の業務態度。そこが最悪だったのです。つまりは自分でフォローせずにだらだらと仕事をしていたことを確認し、声をあげて怒りました。



ときには諭すように。
ときには叱るように。
ぐらいがちょうどいいのではないでしょうか。

怒りというのはハードパワーであり、一説には運気が逃げると言われています。そのため、どんなことにもありがとうと感謝の言葉をつかうように努めたり、どんなシーンでも笑顔を崩さないといったムーブメントがあるようです。

やりたいことはわかるのですが、正直無理があるし、よそよそしさしか感じません。その笑顔も、感謝の言葉も、ほんものには見えないのではないかと感じています。

もし上記のようなことを実践するならば、わざわざルールを決めることなく、日常生活の中で見いだしていくべきなのです。でなければ、怒りや笑顔がもたらすところの意味はわからないままなのではと思います。

ぼくも年齢を重ねますと、感情的になりがちな面が出てきます。そのときに、その感情を飲み込むような感じで一度沈め、自分を静かにさせるように気を付けています。感情的になったら負け、といったイメージがあるためです。

ネガティブなエネルギーに包まれたとき、運気は「逃げる」のではなく、自分の責任で「逃がす」のだと思います。誰のせいでもありません。責任転嫁をすれば尚更運気を「逃がす」ことにつながります。そうならないためにも、ただそれを避けるのではなく、学んで理解していくことが大事なのだと思います。



きょうの函館はとても春めいた1日でした。
雲ひとつない青空を眺めることができ、清々しさを感じました。

また移動中に五稜郭タワーの近くを通りました。




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めっちゃでかい建物でした。



きょう1日で起きた偶然の出来事が、目を背けないことの大切さを教えてくれました