昨日の八雲は、寒かった。
一日中雨の天気となってしまい、勤め先の「ら・ふも」の前も通る人影はまばら。
雨脚の強弱を感じながら1日を過ごしました。
思えば八雲に入って1週間が経過しました。
まだまだわからないことだらけです。
「ら・ふも」の前の通りにある商店街は、午後8時を回りますと閉店となります。
居酒屋などの店舗はそのまま営業を続けるところもありますが、飲食店の一部はそこで閉店となります。
短いながらも八雲町に住み始めて、身が引き締まる思いをしています。
元々北海道民(どさんこ)は、一度打ち解けてしまうとこれでもかというくらい優しく、そして面倒見がいいと言われています。しかしながら最近は挨拶もせず、同じ町内に住んでいる人ですら、ただそこにいるだけで「怪しい目」をしてくることもあります。それがいいのか悪いのかと言われるとそこもまた困りますが、少なくとも、ご近所さんとの交流は格段に減ったと思います。一部ではそれが原因の弊害も生まれているようです。
そのような問題は、都市部や地方にかかわらない、共通の問題のように感じます。
きょうも出勤するときに「あの人だれ?」的な視線を投げかけられました。まぁ、目立つ格好をしているからなんですが 笑。これが少しずつでも、挨拶そして交流につながっていけばいいなと感じています。
敵と味方。
こういう書き方をしてしまいますと緊張感が高まってしまうのですが、では一体何が敵で、何が味方になるのだろうと考えるきっかけがありました。
地域おこし協力隊の勤め先となっている「ら・ふも」の前の通り、以前は国道だったそうです。
国道だったということは、そこに頻繁な人や車の往来があったことが想像できます。
しかし現在は道路の整備が進み、国道がほかの場所に整備されたため、車と人の流れが変わってしまいました。これは八雲町に限らず、ほかの場所でも見られる光景かと思います。
何かを作る、整備するという目的は一見味方のようにも思えますが、できる前とできたあとでの違いを見てしまうと、その行動自体を敵だと見なす人もいるかと思います。賑わいを奪った、客を奪ったなどの理由でつい恨んでしまうという展開は、なんとも歯がゆいものです。
年月が過ぎれば、状況も変わる。
いつまでも続くものが、あるとは限らない。
それを理由にして「しょうがない」で済ませるわけではありませんが、状況は刻一刻と変化していきます。ただ待っているだけなのか?それに対して自分の側も変化を起こしてきたのか?という部分が、今後問われる機会が多くなってくるのではないかと感じています。
誰かが、何かが、画期的な方法で革命を起こしてくれると「待ち続けて」いてしまったひとつの展開が、今日のような状況なのではないかと感じました。それが悪いというわけではなく、行政などの大きな存在に依存しがちな「癖」という体質が、勝手に味方を、そして敵を作っているようにも思います。そこを脱却する覚悟を持たないとならないのかなと、ひとり考えていました。
それと合わせて忘れないでおきたいのが、味方や敵の位置づけは「振る舞い」によって決められることもあるということ。
かつて長くアルバイトしていた先の社長は、それはそれは面倒な仕事をやろうとはしませんでした。いともかんたんに、または社長という権限を使ってさぼっていたのです。
そして責任転嫁。自分は決して悪くない。相手が何もわかっていないというスタンスを取り、自分に責任がないことを終始主張し続けていました。
このような振る舞いを見てしまっては、さすがに「味方」として認識することは困難です。
その後給料の遅配が続き、呆れる理由を並べ立てた社長に見切りをつけ、ぼくはその会社を辞めました。その後、いつしかその会社はシャッターが下りたままとなりました。
札幌のような大きな都市では、上記のような人間がいたとしても人ごみに紛れてしまい、わからなくなってしまいます。しかし地方だとどうでしょうか?おそらく「目立つ」でしょう。評判も、都市部よりは拡散し定着する率が高いかもしれません。それほどに、自分自身の「世間への振る舞い」というのは、実は重要なことなのです。「自分だけよければいい」という考えがいかに幼稚か。そういった部類の人たちは、おそらく最後まで理解することはないのだと思います。
世知辛い話となってしまいました。
きょうは日差しもあることから、昨日よりはお客さまも「ら・ふも」に見えています。
ドリンク・フードともに快調に出ております(注文をいただいています)。ありがとうございます。
何事も経験が必要で、その先の展開をどうするかによって、その人その物事に対して何かしら評価が下りてしまうというのが現代の良いところでもあり、課題といったところ。地域おこし協力隊として北海道の道南・八雲町に着任したぼくは、できるだけ敵にはなりたくない(思われたくない)なぁと考えるのでした。