きょうは朝から雨の八雲町。
折角の休日だったのですが、外に出来る気持ちにもなれず、だらだらと自宅で過ごしました。
八雲町に来てから4週間目。
八雲町に家財道具が届いてから2週間が経過しました。
所定の場所にそれぞれのモノを収めたあとに、再度整理を行いました。
これは「場所が変われば必要なものも変わる」という持論のようなものです。
事実といいますか、引越前にも極力荷物を減らすため同様の整理を行っています。
そのため出てきたとしてもさほど多くはないだろうと考えていたのですが、意外にもきょう一日で予想を上回る量が出てきました。
写真は紙ごみ(札幌市でいう雑紙)をまとめた袋なのですが、これが既に何袋も出来上がっています。八雲町では燃やせるゴミ(生ごみ含む)と資源ごみとで収集日が分かれておりますが、その資源ごみの日には毎回両手いっぱいの、しかも一度では運びきれないほどのゴミ袋が出てきていました。
客観視して、「なんでこんなに出るんだ 汗」と思ってはいましたが 笑。
しかしながら、実際にごみは多量に出てきました。
ゴミ袋も、湯水のごとく使うという表現がぴったりなくらいでした。
その状況も、うーん、今月いっぱいで落ち着くかなーと思っています。
いずれにしろ、「落ち着く」までは、もう少しの頑張りが必要と感じました。
今日一日は家のなかの掃除と、主に紙類の整理を行っていましたが、これはずっと続けて行っていることになります。
いわば「繰り返し」になります。
ただ気をつけてもらいたいと思うのは、この「繰り返し」を「リピート」にしてはいけないということ。つまりは「同じことの繰り返し」にしてはダメだということです。
なぜダメかと言いますと、上記のような繰り返しだと、それに何の意味があるのか「考えていない」または「考えようとしない」という落とし穴があるからです。
仕事を覚える際に理由も告げずにそれだけをやっていろといった指示がとぶというエピソードが数多ありましたが、多数のひとはその理由を考えることなく、投げ出すことが多かったのではないと思います。
しかしそこに「理由」などの「価値」を見出すことによって、今やっていることの意義や意味が大きく変わります。何のためのことなのかがはじめて「見えてくる」のです。それはとても大きな違いのように感じています。
ごくごく小さなことではありますが、自宅の掃除を行い、不要な書類を整理するということは、いわば「繰り返し」の行為にあたります。
ただ、この繰り返しひとつとっても、気づくことが毎回異なります。
その気づきを得ることこそが、ひとつひとつのものごとに対する要諦となるはずです。
きょう、整理していて感じたことは
「見て判断するだけではやらないことと同じ」
「自らの手で触れてこそ、ほんとうの整理がわかる」
でした。
仕事でもそうですが、状況を見てああだこうだという人はどの職場にもいます。
ただ注意してもらいたいのは、口だけ出して自分は「何もやらない」ということ。
要は自分は手を出さず、人を使うということですね。
下の人間にやらせるというのも全うな言い分ではあるのですが、「考え」と「現実」は必ずしもイコールにはなりません。よって、その考えがいつも正しいとは限らないし、かえって自分を動かそうとしない呪いになってしまうことを知っておく必要があります。
自らの手で触れるということは、現場の状況を身を以て把握することにつながります。
そのうえでとる行動は、現場の状況に即した、かなり近い距離での行動となるでしょう。
また、そこには試行錯誤も生まれますから、思った以上にエネルギーを使います。エネルギーは極力使いたくないという見方もあると思いますが、思い切り使わなければならないタイミングもあるということを知っておいてほしいと思います。
何かにつれ同じようなことを書いていくと思うのですが、やはりここが肝心なんだなと感じています。同じことを、違う表現で伝えていくことも大事だと思っています。毎回同じことを考えるかもしれませんし、違う考えが浮かぶかもしれません。それをブログではありますがアウトプットすることで、少しでも土台にしていきたいと感じました。
ぼくのブログは素人感丸出しで、写真も少ないのでほかの断捨離ブログと比べると、味気ないものだと思っています。また、他の方は収納もセットにしているから支持があるのかなとも。
ぼくが伝える「がらくた整理」は、収納についてはほぼ触れません。
「がらくたを見極めて整理する」ことに徹していけば、収納の問題の大半はなくなります。
なので、「今あるものをどうやって収納するか」ではなく、「この場所で必要となったものを収納していく」という考えになります。ただ物件によっては収納場所が極端に少ない場合もあるので、かんたんにでも収納についての見解は述べることがあるかと思います。それはあくまで個人の経験に留めていきたいと思います。
収納が落ち着き、そこから再度整理をして「この場所では不要ながらくた」を見極めていく。
シンプルなものにこそ、奥深さがあるし、何より真理があると感じた休日でした。