つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

あたまでっかちになっていると感じた話。

早くも2018年は5月に入りました。既に1年の3分の1が過ぎていきました。

この4か月を振り返りますと、前半はほぼ出張で家にいない日が続いたこと、そして後半は移住のためのアクションをひたすら繰り返していたことなどが思い浮かびました。

 

今年1月は道北へ。2月くらいから函館へ。

そして3月に八雲町へ。移住を実行に移しました。

 

八雲町に移住した最初の1か月間は、なんだか周りの顔色を窺うような感じに終始したように思います。それは反省点という意味で、本来ならば自分がもっと前へでるべきだったなと感じています。

 

反面、難しさも徐々に伝わるようになってきました。

ひとことで言えば「地方の実情」になります。

言い換えれば「特性」にもなりますが、いわゆる「癖」のようなもの。

その癖の強さを感じつつ、日々過ごしています。

 

  

何か新しいことをやる。

それは都市部においても、地方においても、どちらでも一筋縄ではいかない。

イメージとは全く違う「実感」を、ここ最近になって心身に沁み渡ってきました。

 

 

 

そのような環境で自分は何を残せるだろう。

それは他人が認めるものなのか、自分が納得するものなのか、現在は見当がつきません。

地域おこし協力隊としての活動は、いよいよ本格始動となりそうです。

その中でまた揉まれながら、継続していくことを意識していきたいと思います。

 

 

 

 

そのようななか、日々届くのが郵便物。

既に郵便局には「転送届け」を出してありますので、かつて居た札幌の住所宛に送られたものは、八雲町の住所に送付されてきます。その中に、同じ時期に新しい住所に移った友人からのはがきが届いていました。そのはがきを見て、自分も出さないとなぁと思いながら、今日まで出すことが出来ずにいました。遅筆も遅筆です。「いつか」とか「今度」とかやってしまいますと、あっという間に年賀はがきの時期になってしまいます。それだけはなんとしても避けなければなりません。でもなぜか書けない(汗)どうやらこの手の文章を書くのが苦手のようです。

 

こういう文章は書けるとか書けないとか、どこかで線引きしている自分がいた。

これは正直、恥ずべきことだと感じました。

ああ、また自分はどこかで「枠」にはめていたんだなと。

そしてそれは、他のことにも言えることだと思うようになりました。

 

 

 

現在、受けている印象で「これはこうだ」と定義づけてしまいつつある自分がいます。

それは何かを促進させることもあれば、足を引っ張ることも、致命傷になることもあります。そこをどう「客観的に」判断するかが、とても大事なことなのだと考えています。いや、考えているだけではダメで、それを何かしらのカタチで展開してかなくてはなりません。それが出来れば簡単なのですが、実際には難しいこともあります。もどかしさも感じます。ですがそれが「実際」であることを認めなければならない。それをときには辛さとして感じ、また苦しさとして感じる。その逆も然りですが、のみこまれては自分を見失うことになるのだと考えています。

 

 

 

八雲町に移住して、仕事も変えて臨んだ最初の1ヶ月。

評価としては満足のいくものではありません。

ましてや周りの評価はそれ以上に厳しいものとなります。

地方であっても、都市部であっても、今や「評価」は「厳しい」がスタンダードになってきました。この厳しさに押しつぶされないようにしていかなくてはならない。

この選択肢は自分で選んだものですが、ここもまた「苦しみの海」のようです。

 

何とも後ろ向きな発言ばかりですが、移住した以上、職を変えた以上は、「腰を据えて」いく努力をしなくてはなりません。それは誰が何と言おうと、どのように評価しようと、諦めずに目指さなくてはなりません。何かしら事象を重く受け止めてしまうのがぼくの悪い癖なのですが、現在は絶賛発動中のようです。

 

沈まないように。

いまはただ、それだけを意識していこうと思います。