絶不調のタイミングでとうとうやらかし、自分のちっちゃさを痛感した話。
遅めのゴールデンウィークは、札幌に滞在していました。
元札幌市民(今年3月まで)なのです。
そのため、札幌に宿をとるというのが何とも不思議に感じました。
今回は実家に寄らず、友人宅とホテルにお邪魔しました。ありがとうございました。
用事は車のメンテや買い物、人に逢うなど、細かく決めていましたが、アラフォーになりますとだんだん出来ることも出来なくなります。体力気力の問題もあり、ほんの少やりたいことをこぼして帰ってきました。
当たり前の話なのですが、札幌で買い物をすれば、ほぼなんでも揃います。
しかし八雲町ではそうはいきません。
だからといって、生活できない訳ではありません。
どうしても必要なものが出てきた場合は、函館なり札幌なり買いに行けばいいのだ。
何でもあることの裕福さといいますか、贅沢さを感じていました。
食事のほうはと言いますと。
友人宅では手料理を御馳走になりましたが、外食になりますと他の用事を優先してしまうため、1日2食になることもあります。
そのうちのひとつがこれ。
テレビでも紹介された、サッポロファクトリーに入っている「できたて屋」さん。
海鮮の定食がいただけるお店です。
若かりし頃はまったくと言っていいほど海鮮が苦手だったのに、最近は好んで食べるようにしています。
また、小骨が多い魚は敬遠していたのですが、この日は初めてイワシを一人でいただきました(普段は時間がとってもかかるので食べないようにしています)。
食事で楽しむ一方で、とんでもない大失態をやらかしました。
詳細を話すことは出来ないのですが、何をやってしまったかと言いますと
「その発言をしたことによる先の展開ことまで考えずに発言してしまった」
ということです。
言ってしまったのは仕方ないけど、わたしのことも考えてよね。
と、痛烈なお叱りをもらってしまいました。
なぜ痛烈なのかと言いますと、これ、何度か自分がこのブログで主張していることだからで、他人の事なら客観的に見ることが(一応)出来ていたのに、それが自分のことになるとこの体たらくになってしまったからです。
後の祭りですが、これには正直落ち込みました。
加えて、この日の体調は絶不調で、挨拶を兼ねて整体を受けてきたのですが、八雲町の自宅に戻ったら吐き気がしたので吐いてみたのですが、口から出てきた液体の色が見事な赤でした(汗)
この無様さ。恥ずかしいどころの騒ぎではないです。もうほんとちっちゃい。
呆れるほどの愚かさです。
コミュニケーションの難しさ以前の話です。
配慮が足りなかったと言うほかありません。
ことばを究めていきたいとよくも言えたものだなという感じです。
自分で自分を責めても何にもなりませんが、責めたくなるほどの出来事でした。
それでも。
何かしら話すことをやめたくはないです。
たぶん、この先も失敗するでしょう。やらかすでしょう。
でも、それが怖くなって「何もしなくなる」よりかは、前へ出たほうがいい。
迷惑はかけないほうがもちろんいいけど、失敗をしてしまうからこそどんどん失敗しなくなると考えていかなくちゃならない。経験していかないと、結局は「わかっているふり」になってしまうから。
その失敗で、何かが離れてゆくこともあります。
失敗をしたとしても、次は気をつけてねと猶予をいただくこともあります。
世の中は、気づけば猶予をもらえなくなってきている。
いつしか、自分も自分に猶予を与えなくなってきている。
だから余計に、痛みを感じてしまうのかな。
余計に、責任を取ることを考えてしまうのかな。
それが正しいとは一概に言うことは出来ませんが、今回の大失態を振り返りますと、まだまだ自分はガキだわと思いました。
大事なのは、今回の出来事を無駄にしないこと。忘れないこと。
言葉が走る以上、その内容に複数の人が関係してくるならば、その人にも少なからず影響を与えてしまう。その先どうなるかを考えていかなくてはならないのは、日常の世界でも政治の世界でも同じです。
夕方、八雲町の自宅に戻りました。
部屋のなかは暗いですが、テーブルの上がごちゃごちゃとしています。
いま、自分の頭のなかはこんな感じだ。
それのせいにするわけではない。それを放置していた自分が悪い。
いつの間にか自分を追いつめていたのかもしれない。
そんなことをやっていたら、持ちこたえることは到底無理です。
気づけば「何かが見えなくなっていた」ことを自覚していない自分がいたようです。
明日からは「ちゃんと、今まで通り見えるように」していくことを意識していこうと思います。
それもまた「本気」のひとつだし、「ちゃんと」することの意思表示。
いつしか静けさを忘れていたぼくは、幻想の忙しさに振り回されて大失態を起こしました。
ここからまた、自分のなかに「静けさ」をもたらしていく。
それが出来なければ、次はないと痛感した1日でした。