つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

やり直しからにじみ出てくる面倒くささなどのネガティブについての話。

移住をしたことを報せる文面を作成し、印刷して封入した時点で自宅の電話番号に誤りがあったことが発覚。

 

はい。訂正して刷り直し(笑)

 

 

このほかきょうは仕事が終わってからクリーニング店に行ったのですが、Webで営業時間を確認したものの現地に着きますと閉店になっていました・・・

 

 

なんでしょう、この「きょうは何をしてもダメだ感」は(笑)

 

こんな日は、早めに寝るのに限ります。

 

 刷り直しの文書には手書きの部分も加えていたため、そこも書き直しになります。

クリーニング店も、明日の勤務後に再度向かうことになりました。

 

あーめんどくさい(笑)

 

と、思ってしまいます。

 

 

 

現在では書くことよりもタイプで文字を打つことが多いため、文字を書くという行動は余計に時間がかかると思ってしまいます。実際に文字を打つほうが文面を作成するのは早いですが、手書きでなければならないところもあると考えているため、そこは再度時間をかけてやるよりありません。その際に気を付けなければならないことは「平常心」であることだと感じました。

 

やはり「やり直し」となってしまいますと、気持ちがダウンします。

これが感情が昂ぶっている場合(怒りなど)は、筆跡や筆圧に影響が出てしまいます。

何が良くて何が悪いかというのは本人がいちばんよくわかっていること。

もし、そのやり直しをすぐに行う必要がなければ、少し時間を置いたほうがいいと思いました。というのも、ちょっとよくないこと続きでなかなか平常心にならないので、きょうは印刷だけにして、明日の書き直しにしようと考えていたからです。

 

ひょっとすると、今やり直しても無事に終わるかもしれません。

しかし、その文字のかたちなどには、納得がいかないかもしれません。

そこまで完璧主義ではないのですが、自分の怒りや悲しみなどの感情を無関係の他人にぶつけるわけにはいきませんので、昂ぶった感情が少しなりとも抜けてからとりかかることにしました。

 

修正液や修正テープという方法もあるのですが、それも時と場合によります。今回は「書き直す」ことに決めました。たったこれだけのことですが、改めて文字を書きます。そうなると「手紙」としての体裁が整います。しばらく手紙は書いてきませんでしたので、どこかで「もう一度書きなさい」という指令でも下っていたのかもしれませんね。

 

 

 

文字を打つ事よりも、文字を書くことのほうが、その文章についてしっかりと考えるような感覚を持っています。タイプの場合は打ち直しがかんたんですが、手書きの場合は

そうでもありません。修正テープなどで修正ができるからといって、頻繁にやってしまいますと見映えが悪くなってしまいます。そうなると自然に頭で文章を考えます。打つほうはとりあえず打って文章を「見て」、そしてどうするかを決めていく感覚です。手書きの場合は、文章を頭の中でイメージし、ある程度の文章をつなげていきます。そのうえで文字に起こす感覚です。個人的なイメージで書きましたが、脳にとってはかなり刺激的なことをやっているかのように思います。

 

最近は文字を打つことばかりに終始していました。改めて「文字を書く」ことの大切さに向き合えということだったのかもしれません。そして「手紙」であることも大切な要素です。出張生活などを続けていたため、現在やっと「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」というアニメーションを観ています。この作品も終盤近くまで見ていますが、想いや考えを伝えることの大切さを改めて教えられました。

 

 

 

 

大昔から人はその気持ちや想い そして考えなどは直接その人に伝えて

やがて紙という文明が産声をあげ 手紙という文化が生まれる

その後電話が発明され ポケベルやメールが出現し

更にかんたんに考えや気持ちを伝えることが出来る道具が台頭し続けている

 

 

体温やいのちが込められたものから、画一的なサイズで一直線に彩られたものまで、いまや文字は様々な形態があることがわかる。事あるごとに書いてきたような気がしますが、やはり文字は手書きがいいと感じています。仕事に関しては打つタイプの文字がいいですが、どこかでぼくは「温度」を喪ってはならないと思っています。これはもうこだわりの面が強いですね。若いころと比べますと、格段に文字を書くことは少なくなりましたが、「それでも」手書きで手紙をしたためることをやめたくはないですし、やめる気はありません。

 

明日以降、手紙の書き直しなど時間のかかることが目白押しになってしまいましたが、こういうときにこそ「きほん」や「ていねい」を忘れてはいけないのだと、どこのだれかが言ってくれているんだと思います(時折変なことを言います。すいません)。

 

丁寧さを忘れるな。

何よりも基本を忘れるな。

 

それらはすべて「土台」であり、それを忘れるということは、足元を掬われることにつながることを知っておかなくてはならない。

 

そんな「戒め」が伝わってきた、雨の日曜日でした。