八雲のお酒と、恵みの話。
函館出張時代(とは言ってもほんの数か月前)、よく朝のコンビニで北海道新聞を購入して読んでいました。
時期としては八雲町に面接に行くことが決まっていたのですが、その時の記事に
「八雲町の日本酒」
というものがありました。
ぶれててごめんなさい。
へぇー。そんなのあるんだ。
面接後に買うことが出来ればいいな。と思っていたのですが、その時は結局購入できませんでした(笑)
はい。特急の時間があったため、買いに行く余裕はありませんでした。役場からダッシュでJR駅に向かったのを憶えています。
その後八雲町地域おこし協力隊としての採用が決まり、出張の帰りに社員さんが気を利かせて高速道路の八雲PAに寄ってくれました。そこには先日の日記にも触れました「丘の駅」というお土産屋さんがあり、そこでこの日本酒に出逢いましたので迷わず購入。しかし仕事の忙しさや引越など怒涛の毎日を過ごしていましたので、つい昨日(笑)ですが、やっと飲むことができました。
日本酒の名前は「今宵八雲(こよいやくも)」。
アルコール度数16度の純米吟醸です。
以下、裏ラベルの情報を一部記載しますと
三石小仕込み
精米歩合 55%
原材料:国内産米・米麹
仕込み水:八雲の名水(やくもウォーター)
アルコール度数:16度
となっています。
八雲町内では町内の商店及び丘の駅で購入が可能です(限定品のため品切れの場合有)。
日本酒はそう詳しくないのですが、飲みますととてもすっきりしており、とても飲みやすいです。お米の味はお酒が喉を通ったあとにやんわり浸透する程度。さほどの甘さは感じません。冷やしているからなのかもしれませんが、万人受けする味だと思います。
購入したのは720ml瓶でしたが、一升瓶でもすぐに飲み干してしまう勢いです。それくらいの飲みやすさを感じます。八雲町はもち米の産地であり、よい水もあります。お酒をつくるための材料は揃っているという訳です。
ただ注意しないとならないのは、うまいうまいと言いながらついつい飲み過ぎてしまうこと。何事も偏らず、適度なうちがいいです。そのためにも、過信は禁物です。過信ほど何かを傷つけますし、その展開は孤立を呼びます。それは大なり小なり歴史が証明していますから、やれ5月病ですとかいろいろある時期ではありますけれども、穏やかな自分を手放すことなく、日常を過ごしていくことが出来たらと願っています。
お酒がこうして出来上がるのは、人の手もありますが前提としてあるのは自然の恵みです。それを見過ごすわけにはいきません。自然はときに恵みをもたらし、またときには災厄をもたらします。出来ることなら災厄は勘弁願いたいですが、どうあがいても災厄にぶつかる場合、最悪の事態だけは避けたいと願うものと思います。または、その災厄が「転じる」ことを願い、期待してしまいます。
そんなときに教えていただいたことは「よいことは受け取る。悪いことは受け取らない。」という宣言を口に出していくというもの。何度かお世話になりました、神社神職の資格を持ちながら霊能者(世間一般的な表現にしています)でもある方から教わりました。そこには一切、他の存在に頼るという甘い考えはありませんでした。
日々が楽しくても、逆に苦しくても、それは自分自身で切り拓いていくしかない。
そのためには、自分の正しさを疑うことも必要です。
そして何より「感情」に支配されないこと。
わたしも未熟者ですので、瞬間湯沸かし器のように激昂することもあります。
腕っぷしは弱いですし、家人には頭が上がりませんが(笑)
自分の言動を省みることが出来るならば、まだ余地は残されていると自身の経験から感じます。それが出来なくなりますと、周りは見えなくなるでしょう。
お酒造りも、自分の人生も。
これ「だけ」が常に正しいとは限りません。
それがわかっていたとしても、「頭で」という場合もあります。なかなかに難しいです。
ひとは否定されたときにひどく傷つきますが、逆に捉えますと、そこからの再生というプロセスの中で「自分に対してどんなことができるか」というチャンスが巡ってきています。それを怖がっていては、頭打ちの状態が続くといっていいでしょう。
かくいうぼく自身も、怖さを携えて毎日過ごしています。
いろんな怖さです。そこには不安も入り混じっています。
何が出来るのか、どうすればいいのか。
日々考えながら過ごしています。
八雲町の地域おこし協力隊は、4人で活動しています。
ミニマムなチームであると思います。
まずは1年という時間ではありますが、順調に行くときもあれば衝突寸前という局面もやってくるかもしれません。どのような展開が待っているかはわかりませんが、断固たる決意を以てこの町に移住した以上、進んでいかなくてはなりません。
以前から興味深く読んでいる本の中で、仏陀の「原始仏典」があります。
仏陀というくらいだから仏教の経典だろうと思うのですが、宗教色はまったくといっていいほどありません。そこに魅かれ、時折読んでいます。
先ほども読んでいましたが、以前からこのお決まり文句が気に入っています。
それは
-まるで一本角が立つサイのように一人で歩みなさい。-
と、いうものです。
この文章の前にもお決まり文句はあるのですが、この文章の意味するところが理論ではなく感覚で納得しているような感じです。
未熟者の今後にご期待下さい(笑)
出勤時に柏手を打ち、自分に言い聞かせるようにして家を出るようにしています。
今朝も同じようにして建物を出ますと、モンシロチョウがひらりとぼくのほうにやってきました。しばらくぼくの周りを浮遊し、ひらひらと去っていきました。
勝手な解釈ですが、味方ではないですけれども、わかってくれている存在を感じた、少し夏を感じさせる1日の出来事でした。