勤務後に外食し、先ほど戻ってきました。
外食の機会は少なく、現状伺うお店は決まってしまっている状態です。
勢いとしては「全部のお店に顔を出したい」のですが、二の足を踏んでしまっています。
ひとりでダメなら、ふたりで行こうや。
先ほどまでいたお店で、そのようなことばをかけていただきました。
さて、自分自身の変化を、果たしてどれくらいの人が「自覚」しているでしょうか。
ぼくもそうですが、他人からの指摘などで気づくことが多いです。
それは良い面もあり、悪い面もあります。
ありがたいのは、それを「言ってくれる」人がいること。
孤立してしまいますと、言ってくれる人も離れてしまいます。
札幌の友人から言われたことは「焦るな」。
八雲町でお世話になりつつある方からは「気楽(気軽)にやりなさい」。
何とも面目ないことですが、肩の力が抜ける想いがしました。
なんでしょう、加齢とともに何かが凝り固まっていく感覚を憶えている中で、洗練されていくものがある実感も覚えています。それが周りにどう見えてしまうかはわかりませんが、大事なのは「自分で自分をわかっていること」になるのだと思います。経験はありますが、決まって「自分のことはよくわかっている」と想っているときほど、実はよくわかっていなかったということがありますから。それが慢心であったり、過信であったりする場合「も」あります。いくつかの要因が重なることもあると思います。だいじなのは、車のアクセルをずっと踏みっぱなしにしていないか?ということなんだと思います。ベタ踏みだけが運転ではないということですね。それは日々の生活にも当てはまるかと考えています。と言うからには、自身も意識していかなくてはなりません。
このブログも、実は移住後からアクセスが増えています(数は人気ブログから比べると少ないですが、移住前から2倍~に増えています)。
アクセスが増えた要因は、よくわかっていません(笑)
でも、確実に以前よりもこの記事を目にする方が増えたことは事実です。
読んでくださっている方には、八雲町にいらっしゃる方もいるでしょう。
そのうえで、今後何かしら意見を伝えに来ることがあるかもしれません(時折非現実的なことや刺激の強いことを書くので)。
大きくではないですが、変わったな~としみじみ感じています。
成長と、変化はイコールだと思いますが、イコールではない部分もあります。
思えばぼくはこの地に来て、いまある能力すべてを注いで~みたいなことを考えていました。もちろん単独で動くことはほぼないため、周りの協力を仰いでのことになっていくとはぼんやり考えていました。いま思えば、それは「焦り」だったのかなと感じています。自分の感触と他人の感触がイコールになるとは限りませんから、その焦りがどのように映っていくかは、自分の予想を大きく外れていく可能性を含んでいます。そうなってくると、ひとつの事象についてだけでも「印象が大きく異なる」事態を招きます。
八雲町に移住して、およそ1か月半が経過しました。
広報誌にも顔と名前が載りましたので、何かが「変わっていく」可能性は十分にあります。中にはいろんな尾ひれがついてくることも予想されます。その激流の中で、どのようにしていけばのみこまれないかをしっかりと考え、展開を起こす必要を感じています。
まだまだ知っていかなくてはならないことがある。
そして、まだまだ変わっていかなくてはならない。
そのように感じた、風強く吹く晴天の1日でした。