「企画書」は、つまりは「ラブレター」だ! という話。
ここ最近、不慣れな書類を書いています。
地域おこし協力隊は公務員であることからして、自分にとっては未知の分野。
社会人の基本が織り交ざりつつ、右往左往している日々です。
その中で現在も書いていますのが「企画書」。
これまでは自分で発信し、自分で解決してきたことがすべてでした。
それが地域おこし協力隊となってからは、関係各所との係わりが出てきます。
そのため、プレゼン等に必要な資料ということで、企画書の必要性が出てきました。
この企画書。なかなかのクセモノです。
その理由は「どのようにして伝えるか」ということ。
頭で考えていることと、言葉で相手に伝えるということは、まったくの別物だということです。
自分の頭の中ではわかっていても、それを相手に、しかもわかりやすく伝えるにはどのような言葉を選べばよいのだろうか。
基本的なこととして、自分で認識している言葉を相手も同じ意味として認識しているとは限りません。だからこそ、書いては消し、書いては消すことの繰り返しを行っています。
そんなことにきょう1日を費やしていましたが、ここでふとこんなことを思いつくあたりは、ぼくはどーにかしているのだと感じました。
詰るところ、
「企画書を書くということは、ラブレターを書くことに似ている」
ということ(笑)
読者のみなさまは、これまでにラブレターを書かれたことがありますでしょうか。
ぼくは…あります(笑)
打率は、最悪でしたね(大汗)
そこから思い出されることは、ラブレターの中身はいつも「何かに偏っていた」のではなかろうかということで、そこには気持ちを述べるあまり、相手に伝わっていなかったのではないだろうかということでした。
いや、そもそも嫌われていたのかもしれませんがね(笑)
今ならば。
仮にいま、好きな人にラブレターを書くとしたら、どのような文章になるのだろう。
文章になる、のでは少々おかしいかもしれませんね。
どのような文章を「書くことができるのか」が、正しい表現になりますね。
いまも昔も、どうやら伝えることは不得手のようです。
不得手だからこそというわけではありませんが、残りの時間を生きるための目標として、「伝える」ことを磨くということを心に決めました。その不得手は一生ついて回ることと思いますが、それに甘んじたくはないのです。もがき、あがきながらも、その域から1cmでも離れたいのです。才はないですが、努力は怠りたくないのです。それくらいのわがままはあってもいいのではないかと考えています。
いずれにせよ、企画書は書かねばなりません。
書かないという選択肢は、ぼくにはありません。
仮に企画書=ラブレターだったとしたら、その書面で相手が動くかどうかが決まるということになります。
ぼくは、動かしたいです。
心より、そう願っています。
だから、書こうと思います。
納得のいく企画書を。
妥協することのないラブレターを。