暮らしが変わりますと、なかなか定着しないことが出てきています。
それに加えて、ずっと前から慣れないこともあります。
地域おこし協力隊として仕事をするようになってから、休日の日もこの肩書きで出かけることが少なからずあります。そのためと言ってしまいますと言い訳にしかならないのですが、家の中が疎かになります。勤務先の「ら・ふも」では掃除をするのに、自宅での掃除は任せきりになってたりします。札幌市にいたときはやってたのに 汗。
あと、自覚しながらもなかなか定着しないのが、写真です。
ブログには写真がつきものなのですが、写真を毎回載せている訳ではありません。
もちろん、アクセス数にも影響するのですが、本人があまりそこに重きを置いていないからでしょうか(いや実はそんなんでもない)、写真を撮るということに慣れていかないのです。
暮らしの過ごし方が変わりますと、自分のルーティンワークも変わる。
考えてみれば、そこまで意識をしていなかったのかもしれません。
だからさぁ~なのかもしれません。だから定着していないのかも。
札幌であれだけやってきたことが、八雲町でいまどれだけやることが出来ているだろうか。
加齢もありますが、確実に自分が出来ることの範囲は狭まっています。
それを認めたくないのですが(笑)。
反面、収穫が多くあります。
人に逢うこと。
足を向けること。
壁にぶつかりながらも、いろんな実感をいただいています。そのうえで「やってみたい」ことがふつふつと湧いてきています。
それが地域おこし協力隊でいるあいだにできるか、それとも八雲町民として為すのか、未来はまだ白紙の状態になっています。
白紙だからこそ。
散々コテンパンになって、「なんなの、マジで。」と言い放たれて、自信が委縮してしまったとしても、ここで生きていくしかないと決めているのです。
思えば、「ここでの生活、仕事はイヤだ」と微塵にも思ったことはないのです。
決して目を逸らしている訳ではないのです。
何かが変わろうとしています。
それはまさしく、イノベーションだったり、レヴォリューションだったりするのかもと思っています。
書いていて思ったことは、いま自分はすべてのことに慣れていない、いわば「ゼロ」状態なのではないかと考えました。だとしたら、ここからあらゆることを積み上げていけばいいということになる。
ここから、慣れていけばいいんだ。
そう悟ったら、少しラクになった。
ひとりで勝手に、抱えているようだ。
自宅にあるモノだけではなく、自分のナカノモノも、すっきりさせていかないとなんない。
明日は何をやろうか。
明後日は何ができるだろうか。
1日中家にいて録画したビデオを見まくったっていい。
逢いたい人に逢いに行くのだっていい。
人に伸びしろがあるように、ぼくはこの地でいかなくてはいけない場所がある。
いまはたくさん抱えろ。そのうえで選べばいい。
きょうちかくにいたかみさまが、そっとささやいたような気がしました。