つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

企画書は、「翻訳書」であるという話。

先月の11日に、書き上げた企画書をあちこちに添付ファイルでメール送信し。

 

 

その後、少なからず反応があって。

 

 

早速、赤ペンを入れて修正作業に入っていました。

 

 

 

しかしながら一度でも「書き上げて」しまった企画書に対する「熱」は、このときかなりの下火に。書き上げて終わるものではないのに、どこかでやりきった感が出てしまっていました。修正も中途半端なままで、接客等に追われるのを言い訳にして、ちょっと先延ばしにしてしまいました。

 

それではいけないと想い、チャリティビアガーデンの翌日から、集中して修正に取り掛かりました。ここでは書きませんが、これに打ちこもう、といった出来事がありました。

 

それは何といいますか、やっとのことで狙いを定めることができたような感覚でした。

 

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 いや…狙いどころか…机の上汚ねぇ(笑)

 

机上は、現在進行中のものばかりが乗っていました。

 

 

 

あちこち話をしますと、その規模を知りますと「最初なんだから無理に大きくする必要はないよ」といった主旨のことを話してくださいます。たぶん、ぼくが頼りないのだと思います。実績も乏しいですし、ひょっとしたらスピードに欠けるかもしれません。

 

ここでも、「それでも」なのです。

規模は、大きく変わる可能性があります。

 

しかしながら、開催場所は変えたくないのです。

それが、現在のこだわりになっています。

 

この場所でやりたい。

この場所で見てもらいたい。

この場所で生み出したい。

この場所で伝えたい。

この場所で届けたい。

 

この場所で。

 

 

実は、八雲町の地域おこし協力隊に採用が決まってから何度かその場所に足を運び、着任時のあいさつにてその想いが確固たるものになったのです。

 

ひょっとしたら「来年があるから」という言葉も聴こえてくるかもしれません。

ただそれは、現時点ではとても悠長な言葉にしか聞こえないのです。

自分のスピードを棚に上げて言うのも何なのですが、来年に出来るという保証は一切ありません。未来の不確定要素を頼りにするという理由で、目の前の僅かな可能性を放棄したくはないのです。それは仕事だけではないことだと、多くのかたがピンとくるのではないのでしょうか。

 

こーんな「クソ熱い」キモチを再び宿しながら、この週末で企画書の修正版を書き上げ、再び添付ファイルにてメールを送信することが出来ました。

 

 

 

今回の修正点は、「文章表現」の更新にありました。

平たく言いますと、文字数を半分以下に減らしました。

 

 

文字数を半分に減らすということは、「無駄な表現」をなくすということと、「類似項目」をまとめること、「図(イラスト)」を入れて表現の幅を広げることなど、企画書の枠組みを変える大がかりな作業となりました。

 

わかりやすい表現というのは、何とも難しいものです。

自分がわかっていても、相手がわかっているとは、限りません。

 

わかりやすい文章で、と係長に言われてしまいました(汗)、ので、わかりやすい表現は何かと考えた結果、「短くても伝わる表現」にすることを決めたのでした。

 

これがどのような反応を得るのかは、これからになります。

 

 

 

ちょいちょいですが、ぼくは「言葉を尽くす」という表現を使っています。

最初の企画書では、言葉を尽くすという方針がそのまま「文字数」に反映されていました。かなり文字が多かったですし、細かかったようにも思いました。これを大幅に減らしたのですから、どのように伝わっているかを知るのが少し不安です。

 

はい。不安ですよ。「いいと思うよ」というセリフはよく聴きますけど、話半分に聞いてしまってます。納得の感触を得るのは遠い話になるかも・・・

 

自分の考えを文字にするという行為は、前回は「ラブレター」だと表現しました。

今回思いましたことは、自分の考えを文字にするという行為は、「翻訳」だと感じました。

 

ラブレターと似たり寄ったりですが、どれだけ自分の頭の中を表現できているかになります。それを細かく書き連ねることも可能ですが、それをどれだけ簡潔に、かつわかりやすくするかというのもすごく大事です。レポートや論文を書いていたころは如何にマスを埋めようか考えていましたけど(笑)、仕事になりますとちょっと異なるようでした。

 

 

 

現在のところ、企画書が自分の気持ちを伝えるツールとなっています。

なかなか、面談まで進んではいないのです。

相手をその気にさせるためには、何が必要か。

そのためには、人を見ないといけないと思いますし、それ以外のことも見ていかないとならないと感じています。

 

 

その先のことを考えてもいまは仕方ありませんが、「いま」をどうしていくかによって、その「先」が固まっていくのではないかと感じました。

 

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この花の○○さを、どのようにして伝えますか?

○には、いろんな表現が入ります。

それを踏まえて、伝えるためのバリエーションを考えます。

果たして、バリエーションはどのくらい出てくるでしょうか。

 

これも訓練、ときには特訓が必要です。

それが面倒だなと感じたとしても、それが目的を達成するために必要なことであったなら、それは「やるべきこと」に変わります。

 

身近な例で言いますと、気になる女性が小説を読んでいたとして、どんな本を読んでいるのかを聞きます。その作者がお気に入りとわかったときには、必死でその作家さんの本を読んでいくのと同義です。

 

あとは、相手の趣味とか得意分野に入り込むことも同様ですね。

 

 

 

何を話しているんでしょうかね(笑)

 

 

 

前から変わらない想い、または考えとしては、書いている企画書で相手を振り向かせるというものです。そのためには、自分の考えも、伝えることもはっきりさせないとなりません。

 

やるべきことは、まだまだあるのだと、書きながら想いました。