新聞などでも報じられておりましたが、北東北と北海道の函館方面の遺跡群が注目を浴びています。世界遺産(だったはず)登録に向けての動きも強まっているようです。
八雲町に引っ越してきて、こういった遺跡を見る機会はありませんでした。
いや、札幌にいたって見る機会はそうそうなかったのです。
そんな中でも唯一見てきたものがありました。
それは「環状列石」。
つまりは「ストーンサークル」です。
これは小樽市にも幾つか現存しており、規制線は張られているものの間近に見ることができます。長い長い昔の暮らしの一端が、このときに目にすることができるというのは、大河を超えたロマンに感じています。
そして今回は、隣の森町にある「鷲ノ木遺跡」の見学会に参加してきました。
こちらは現在予約が必要なものとなっています。
こちらに参加してきたのですが、それはもう驚きでした。
加えて、貴重な体験を積み重ねることが出来ました。
題名に書いてしまっていますが、それは記事の最後のほうで。
見学行程ですが、
鷲ノ木遺跡~榎本武揚上陸地碑~発掘事務所
となっています。
マイクロバスに乗車して移動するという方式ですが、最初の鷲ノ木遺跡はこのときだけの公開となっていますのでご注意ください。
ではなぜ、通常公開していないのでしょうか。
現地に行ってみてびっくり。
なんと、遺跡の下に道路があります。
しかも「高速道路」です。
安全管理の面から、普段は立ち入りが出来ないものとなっています。
また、この近辺はいろいろと出土品があるとのこと。
まだまだロマンが眠っているようです。
肝心の環状列石はその場所の保護のため、シートなどが被せられていました。
しかし、全体を見てみますと
広いのです。
なんでも、直線で37mあるんだとか。
これは類を見ない大きさです。
これは外側の環の輪郭の部分。
近くに海がありますので、そこから運んできたのでは?という推測だそうです。
この写真を見ますといろんな形が見えていますが、地質の研究もあるようなので、一部は土を取り除かないまま残してあるんだとか。緑色のシートの部分は火山灰の層となっていて、これまた保護のためにこのような処置を施しているとのことです。
圧巻。圧倒。
感嘆の声しか出ませんでした。
そして。
一気に時代は進み、近代の話となります。
ぼくは詳しくないのですが、ここにこういった看板がありながらも、実際に上陸した場所は特定できていないのだとか。こういった話がありましたという流れで紹介していただきました。しかし、この日の海の、なんときれいなことか。
目の前にあるのは、先日の日記で触れた駒ヶ岳です。
その後、発掘事務所に向かい出土品などの説明を受けました。
これは最初の環状列石のイメージジオラマ。
構造も特殊なようです。
そしてなんと!イカ型の土器がありました。
研究グループもあるようです。
写真に載せたのはほんの一部ですが、八雲町の資料館にもあるような土器がここにもたくさんありました。ただ環状列石は八雲町にはないので、ここに来ますと生活感といいましょうか、何かリアルなものを感じます。歴史といいますか、時間といいますか。
環状列石の背景も推測ではありますがご説明いただきました。
これらの説明を受けて感じたことは、
「人間には信仰心が自ずから備わっている」
ということです。
※ここでの説明は、環状列石は儀式や祭礼などを行う大切な場所ではないかという考えが有力だということでした
昨今、「わたしは無宗教です」ということで信仰する対象は何もないと公言しているかたが大変多いですが、おそらくそれは間違いだと思います。嘘ではなく、間違いです。
理由としては、それが宗教行為だと知らずに行っているということ。
もうひとつは、自分が自覚していないところで何かしらの信仰行為のようなものを行っていること。
宗教と言いますと、対象が神や仏といった存在になりますが、日常生活にも当てはめていくようになっていることから、「神」や「仏」が対象ではなくても、他の存在にそれを当てはめている傾向にあるのではないかと考えています。
かくいうぼく自身も、表現的には「無宗教」です。
しかしそれは、特定の宗教団体に所属していないという意味合いになります。
そして細かいことを言ってしまえば、「宗教」は信じていませんが「信仰」は信じています。理由としては、少なからずその存在を「実感する」体質であるからです。
ブログのタイトル下に「日常と非日常の~」という表現をしていますが、その「非日常」を感じることがあるということになります。
この環状列石が出来上がったとされる縄文時代は、少なく見積もっても数千年前の時代になります。その頃からすでに「信仰」はあったと推測が出来ます。
そんな大昔からあったものが、そうかんたんに無くなるとは考えられません。
DNAの深いところに、それは必ずあるような気がしてなりません。
嫌よ嫌よ~ではありませんが、否定するたびに本当は信じているという裏返しになるような気がします。
この鷲ノ木遺跡にはゲートがあり、ふだんは施錠されています。
そのゲート前には看板があり、そこでこの遺跡の説明や保存の方法などの説明を受けます。
そして晴れて遺跡に足を踏み入れたのですが、ほどなくして体中に鳥肌がはしりました。
そんなにひんやりしたところにいくのかなーと考えながら歩いていたのですが、次第にこの鳥肌は「寒さ」が原因のものではないことがわかってきました。
分かりにくい説明になるやもしれませんが、
「この遺跡周辺の空気がそもそも違う」のです。
しいて言えば、鳥居をくぐって神社の境内に入ったときのような感覚でした。
なので、わからないよ~という人がいてもいいくらいです。
ぼくの感覚は少々めんどくさく 笑、目に見ることは出来ないのですが、肌で感じることは多少ながら出来るという体質を持っています。この日、ぼくは非日常の空間に入ったことを「肌で感じた」のでした。
あの感覚はなんだったのだろう・・・と考えて、出てきた表現が
「静謐(せいひつ)」
でした。
ああ、これだったら神社の境内にいるような感覚になるわなと納得。
先日の駒ヶ岳登山の際に感じたものも、これに似ていました。
ひょっとしますと古代から現在まで残っていた貴重な場所に、サムシンググレートはいてくれたのかもしれません。いてくれた、という表現はそもそも違うのかもしれませんが。
とまぁ、それだけの経験で済めばよかったのですが、その感覚を裏付けるものが出てきました。正確には撮影した写真の一部に写りこんでいました。
それは、こちらです。
明らかに、斜めに線が入っています。
おそらく、オーブではないかと思います。
太陽の光か?とも考えましたが、方向が異なりますね。
心霊写真じゃなくてごめんない。ぼくはおそらく、そういうものは撮れません。
よーく見てみますと、色は青または緑だと思われます。
その場にいた感覚を思い出しても、危険だという意思表示ではないようです。
その確信があるため、ここに掲載します。
このオーブと呼ばれるもの、以前にも何度か写真に写っていたことがあります。
なので本人はそんなに驚いていません 笑。
考えるのは、このオーブを出す存在(サムシング・グレートだと見ています)は、どのような気持ちでいるのだろうということです。
ネットでオーブの色を検索してみても、オーブを出す側の意思というのがわからないことが多いです。幸い赤色に遭遇したことはないので安心していますが、この色はどんなことを伝えたいのだろうと考えています。
このような経験を継続して感じることは、サムシング・グレートが好む(という表現は適切ではないかも)場所はどういった場所かというものです。少なくとも、ごちゃごちゃした場所にはいないと断言します。最低でも整理整頓していないところですと、どんなにすごいスピリチュアルを謳っていたとしても、それは自己満足に終わってしまうことと思います。
ここで多くは語りませんが、サムシング・グレートに触れたからといって何か良いことが訪れる!という確証は何らありません。恐らくここはパワースポットに近い場所だと感じましたが、何かをもたらすには、その人自身の努力が何より必要になります。それも、過信はだめです。経験があっても、初心者の気持ちを忘れないことが必要です。それができてこそ、本来ある力が発揮されるのではないかと考えています。
この”みどり”または”あお”は、今後のぼくのいきかたに、大きく影響を及ぼすのかなと思いました。
帰りによく通っている「噴火湾パノラマパーク」へ。
この日はジャガイモの詰め放題でした。
既に山がいくつかなくなっております 汗
地震の影響で開催が延期になっていましたが、盛況のようでほっとしました。
もうここには何度も通っています。
そのへんのお店よりも通っています 汗。
何かあれば、ここに来てはイメージを再構築させてきました。
こころが折れそうになると、ここに来ては”やりきる”という気持ちを掘り起こしていました。
時折日記で触れて参りましたが、この場所で来月にイベントを行うことが正式に決定しました。それは次回の日記にて触れたいと思います。