つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

居場所と死に場所。

八雲町に引っ越して、半年以上の月日が流れました。

 

もう半年。

まだ半年。

 

個人的に、いろーんなことを考えています。

 

 

肩書きとして「地域おこし協力隊」という何とも壮大なネーミングがついていますので、それに強制的に引っ張られるかのような感覚で、何かを急いているように思ってしまうことがあります。

 

おかげさまで、顔を憶えてもらうことも増えましたし、冨澤さん、と呼んでいただくことも増えました。しかしながら、まだそこまでといった壁があるように感じます。

外勤であちこち訪れることも多くなり、善くしていただいています。

しかしながらそこもその場所で仕事をしている人にとってはまた違った場所であり、ぼくが終始落ち着ける場所とはまた異なっています。

 

 

きょうも外勤で噴火湾パノラマパークに出掛けました。

きょう、噴火湾パノラマパークではハロウィンイベントが行われておりましたが、てんやわんやだと思っているため、イベントが終わった頃に合わせて訪問し、仕事の話をしてきました。

その後撤収作業を手伝い(結局は体を動かしたいだけ 笑)、早々に帰るつもりがお茶を御馳走になってしまいました。

 

この事務所にいらっしゃる上の立場の方は次長になるのですが、当初ぼくはその方にまったくといっていいほど逢うことが出来ませんでした。事前に電話して、事務所にいるよと言われても、訪れた際には外勤で出かけてしまうほどの擦れ違いでした(笑)。

 

ですが一度逢ってしまいますと、予定の確認なしですんなり逢えてしまうのがまた不思議。今までの苦労はなんだったのだろうと首をかしげてしまいました。

 

その中で出たことではないのですが、ふと次長と話をしているさ中に、自分の頭の中で「居場所」と「死に場所」という言葉が出てきました。

 

 

 

どこかで意識しているんだと思います。

 

ぼくはこの八雲町で「居場所」を探しているのと同時に、「死に場所」を求めているんだと。

こういう風に考えるのはちょっと思い詰めているようにも感じるんだけど、目下の目標は、単刀直入に言えば「コレ」なんだと思います。

 

協力隊を卒業した後の仕事とか、いろいろあるんですけどね。

 

 

 

ぼくはぼく自身、生きるのがヘタな人間だと自負しているので、今でもこのマチでやっていけるのかが心配でなりません。ということは、何かしら安心できる「何か」が欲しいのかなと捉えることが出来ます。

 

それは場所なのか、仕事なのか人なのか。

どれになるかは、わかりません。

「ここが居場所だ」「ここが死に場所になる」と実感するには、何かを変えなくてはと想うこともあります。

そのように考えなくてもいいのだ、と想うためには、何かを変えなくてはと想うこともあります。

 

いまの考えは固定観念だとしたら。

 

 

 

 

 

固定観念は「枠」です。

 

それを取り払う、またはなくすには、何をすればいいのかを考えて感じる。

ぼんやりと、次は何をすべきかが見えてきたような気がしました。