つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

もうひとつの報告書。

 

昨日の日記では、先日主催しましたイベント「噴火湾木育ひろば」の報告書が出来上がり、主に数字の面について書いていきました。

 

 

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改めて振り返りますと、今回のイベントは非営利で行ったためか、あまり数字についての追及はしていませんでした。これが利益を求めるものであれば姿勢はかなり違っていたかもしれません。加えて災害が立て続けに起きていたため、数値の目標はあってないも同然になっていました。

 

これが却ってよかったのかもしれないな、と、今では思うことが出来ます。

恐らく最大の焦点は、ある立場の人にとっては「数字」です。数字がすべてなのです。

そこを省いたもので勝負ができたということになったわけです。

つまりは、ぼくの土俵でやらせてもらえることが出来たということになります 笑。

 

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 さて、報告書の数字以外の部分を述べていきます。

 

それは単純にお客さんの反応だとか、見て回っているお客さんの表情とか、今後の課題をまとめたものなのですが、この他に報告書には書かなかった、個人の感情モロ出しの感想を述べます。個人的にはそちらがメインです 笑。

 

まずはお客さんの反応。

 

「木のおもちゃがある!すごい!」

「木っていいですよね」

「昔はさ、木とかいろんなもので、いろんな遊びをしたもんだ。決まった遊びは一切なかったね」

「この木の遊具っていつもあるわけじゃないんですか」

「木育、初めて知りました」

「木育ですよね。知ってますよ」

 

など、ほんとうに様々な「生きた声」をいただきました。

この声の中には、批判的なものやネガティブなものは「一切」含まれていないことを確認しています。

 

イベントには参加しないまでも、あちこち見て回るお客さんもいました。

表情を見てみますと、意外にも「驚き」の表情が多くありました。

それはこの場所が「遊び場」であるということを知らなかったためと思われます。

パンフレットを集中して設置した場所では、国内外のお客さんが足を止め、その資料を見ていました。中には冊子もあり、立ち読みをしたうえで持ち帰るかたもいらっしゃいました。配布数のカウントをしてましたので結果を見て驚いたのですが、こういった場所には当たり前に置いてある観光関連のパンフレットを差し置き、実は「移住」に関係するパンフレットが多く出ていたことがわかりました。これは大きな発見でした。

 

他にはない「遊び場」に目を奪われ、魅力的な資料に心を奪われる。

不安がありましたが、パンフレットなどの紹介ブースでも十分に町の魅力を発信できたと実感した瞬間でした。

 

 

反面、課題も浮き彫りになりました。

 

ひとつめは「予算」。

今回は予算がありません。表記上は「ゼロ円」で予算案を決裁に回しています。

実際はマイナスなのですが、その経費も宅配便代金のみとなっており、内容としても優良なものになりました。

しかしながら、見えないところでの支出は確実に発生しています。

それは物資の運搬や紙、インクなど。

そして大きな部分では人件費です。

運営スタッフは無償での運営を前提としておりましたが、ワークショップで協力いただいた方には講師料や旅費をお支払いしていません(そのため、ワークショップは材料費のみいただく形式として許可願いを出し、許可いただきました)。

このような方法が、延々と続けられるわけがありません。

出来たとしても、あと1・2回です。

今回のイベントは、様々な可能性を感じる結果をもたらしました。それを報告書で伝えきれたかは確信が持てませんが、観光・移住・仕事のどれかではなく、そのいずれもやる意義はあるという感触を得ました。その感触を確かなものにするためにも、予算(資本)を用意して事業の安全・安定性を持たせ、継続性を組み込む必要があると考えています。

 

ふたつ目は「人員」

今回の人員は、3日間で延べ40人のスタッフで臨みました。

正直言いますと、最低ラインギリギリでした。

みなさんよくがんばりました 汗。

 

この人員についても、募集のかけ方などに課題を残すことになりました。

 

話に聞いたところ、このあたりでのボランティア活動は昼食などを運営側が用意しておくなどの準備を行ったうえで募集をかけていることがわかりました。

はい。その時点で劣勢です。

ある方にははっきりと「ボランティアは集まらない」と言われました。

実際には公募に対して2名の応募があり、他は協力先などから依頼をしました。

ぼくは2名の応募があったことは、大きな成功だと感じています。

 

ボランティアの考え方はいろいろあるのですが、ぼくが考える基本線は「無償ボランティア」です。これは移動手段もお昼もすべて自前で~というものです。これまで参加してきた多くのボランティア活動がコレです。中には泊りのものもあるため食事は用意しなくてもいい場合がありましたが、札幌でもそういったボランティアは多いため、コレが普通だと思っていました。そのため、今回は虚を突かれた感じです。

 

で、結局は当初の考え通り無償ボランティアとしての募集で通しました。

理由はやはり「予算」です。

資本金がないため、結局は何かしたくてもできないのです。

そのため、出来る範囲でのことしかなかったのです。

 

今後は、昼食の用意だとか送り迎えもカバーできるようになりたいなと思います。

その土地に向いたボランティアの仕組みがあってもいいと思うようになったからです。

ボランティア向けの奉仕でも、町のことはPRできると考えましたら、これも立派な投資になりますよね。

 

なんでもかんでも、支出とみてしまったら何もできません。

すべては、投資だと考えています。

 

みっつめは「タッグ」。

 

今回の主催は「八雲町地域おこし協力隊」単独となりました。

イベントの規模にもよりますが、単独主催となりますとかなりの負担がのしかかります。

やることがクソ多い!

となったらオシマイなので、そうならないためにも「共同開催」などの手段もアリだと考えることが大切です。

今回は突発的に起きた事業のため、他の課との共同開催は叶いませんでした。

理由は、そういったことは年度初めに決めてしまうのだそうです。

それはもう、仕方のないことでした。

 

 

さいごは「開催時期」。

 

これはとみーが企画をやりたい!と思った時点で出来る最高のタイミングが10月でした。

しかし、木にかかわる仕事、特に林業をやってらっしゃる方における10月は、実は忙しい時期にあたります。

実は夏場、7月あたりが比較的余裕があることが、今回の企画を行ってわかったことでした。

 

パノラマパークとして秋~冬~春の時期で集客が落ちるため、その時期にできる事業を、という話をされていましたので、今回はそれに倣ったかたちになります。結果としては天気はよく、大成功で終わったのですが、時期を変えればそれまたいろんなことが出来るわけです。加えて、暖かい時期になれば「野外」での活動もできますので、事業の拡大をもたらすことができるわけです。

これに関しては今すぐにというわけにはいかないので、徐々にというのがほんとのところでしょうか。最初からあれやこれやと積み上げてしまい、身動きがとれなくなってしまったら元も子もありません。そうならないためにも、逆に「すくなめ」がちょうどいいと考える余裕を持つことが出来たらと思っています。

 

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これが、報告書に書いた内容となっております。

 

 

そして、このほかにぼくがいいたかったこと。

 

それはやはり、「ゆめのはなし」でした。

 

 

 

 

そもそも、なぜこれを「やりたい」と強く想っていたのか。

 

ぼくは現在地域おこし協力隊ですが、その期間をこのように考えているからです。

任期は最長3年で、1年毎の更新になります。任期の途中で次の仕事などが確定した場合、3年の任期をまっとうしなくても、仕事を移ることが可能です。

そのように考えますと、「与えられた時間は1年間」だと考えるようになりました。

つまりは、ほぼ時間が「ない」状況になるということです。

その中で何かしらの行動を起こし、結果を事実として残し、かつ実績とするためには、強く想って取り組むしかないと考えました。

 

 

 いまとなっては笑い話になりますが、企画をやりたいと話し始めた当初は、「どうしてこんなにも他人事なのか」といった感覚を持っていました。

 

それを当初は「敵対視」としていました。

そのうちに、苦しさに押しつぶされそうになりました。

 

そして、いつのころからか、こう考えるようになりました。

「どうすれば伝わるのだろうか」

他人事のような反応が来る理由を、自分の伝え方に問題があると思い始めたのです。

 

意味合いは同じ表現でも、伝え方次第で理解度が大きく変わる場合があります。

加えてぼくの立場で何かをやるということは、町の立場で物事を行うということになります。

その立場で何かをやることはどのように物事を進めていくかの手順も全くわかっていなかったこともありました。

 

そのため、自分のやり方の要領が悪い、と思うようになったのです。

 

そしてやったことは、とにかく動くことでした。

自分が動いて相手の反応を引き出すこと。

これしかありませんでした。

だって、黙っていたら一切教えてくれませんから 笑。

 

何かをやりたい⇒それを話す⇒手順を教えてくれる

 

という図式を想定していたのですが、まったくもってその通りにならず、新規開拓のような感じで身体全体を使って事業を進めることとなったのです。

 

結局はこれが事業で得た大きな経験であり、ぼくの立場が為す真骨頂でありました。

 

 

とはいえ、気持ちのすれ違いは、結構続きます。

 

いうなれば、行政は現実主義です。

ぼくの場合は・・・少なくても現実主義ではありませんね 笑。

 

お互いの立場が違うのに、すれ違いにストレスを感じるのは不毛な感じがします 笑。

 

これを半分は理解していくのですが、もう半分は感情的になり、なかなか腑に落ちませんでした。

 

 

 

 

 

何度、泣いたでしょうか。

もちろん、悔し涙です。

そして、無力さを痛感する涙です。

 

飲み会でのカラオケで。

飲み会の帰り道で。

閉店後の事務所で。

自宅で。

パノラマパークで。

車のなかで。

 

何度、咽び泣いたことでしょうか。

じぶんはもう涙腺が緩いからとかではなくなってきています。

最近は、よく泣くようになっていました。

 

この気持ちを、少なからず汲んでくれたかたがたがいます。

 

 

そのかたがたのお話(個別に)をいただいたとき、目頭が熱くなりました。

これまでは、独り泣くことが多かったのですが、この事業を手掛けている中で、人前で泣いたのはこれが最初で最後でした(泣きそうになったことはあります)。

 

それで、わかったことは。

 

ぼくは、利害で動く人間ではない、ということ。

すっとんだ言い方をすれば、「こころ」とか「たましい」で動くにんげんなのだということが改めてわかりました。

 

そもそも、ぼくがここでイベントをやりたいと思うようになったのは、単純な動機からでした。

 

 

何度も触れていますが、ぼくは「北海道木育マイスター」であります。

これより前に始めました、自然体験活動でぼくのいのち、たましいはかろうじてこの世界で生きることを選びました。

 

その恩返し、というわけではないのですが、自然に触れる活動は人間のこころとからだに好反応をもたらすという持論を持つようになりました。

 

そして、八雲町への移住が決まったときに、函館からの仕事の帰りに噴火湾パノラマパークを訪れた際、「ここで何かできたら」と思い、そして実際に移住したときに再びパノラマパークへ訪れた瞬間、「ここで木育をやりたい」と決意したのです。

 

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当初はそのような単純明快な理由だったのですが、地域おこし協力隊の目的とか、色んな要素が加わって今回のイベントとなりました。

 

ぼく自身の経験というよりかは、木に触れることの大切さを感じてもらうとか、この土地への気持ちを込めるとか、すぐには反映されない種まきのような活動。

かつてぼくは個人事業主でしたが、そのセンスはなく、この道を選びました。

お金を稼ぐことはできないですが、気持ちを集約することはできる。

そう、実感したものです。

 

以前の日記で、「善意の先送り」ということを書きました。

ここでは、数々の小さな「善意」が生まれたはずです。

何故ならば、小さなこどもがいて、それを見守る親御さんがいます。

大人同士でしたらそれこそ喧嘩も勃発しますが、そこにこどもがいますと、意識が大きく変わります。

ちょっとした心配りが、相手に大きな影響を及ぼします。

期間中、この会場ではまさしく「Pay It Forward」が起きていました。

その空気を感じては、ひとり心が熱くなっていました。

 

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そして、もうひとつは「サイコフィールド」。

もしくは「クァンタム・バースト」です。

 

このカタカナはガンダムの世界なのですが、超ざっくり言いますと「意識の集束」と「大いなる対話」になっています。

 

このような壮大なイメージは、結局ひとりではできませんでした。

1万人を超える来園者と、1,000人を超えるイベント参加者がいたからこそできたことでした。

 

その光景と、身体と心に伝わる感覚は、ぼくが決めて動いたことは、伝わったと感得するものとしては充分なものでした。

 

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数字を気にしなくてよくなったから。

非営利の事業であったから。

いろんなことが重なった結果、自分がやりたかった、望んでいたことが叶ったのだと確信しています。

 

 

 

 

この事業の計画を練っているとき、お世話になっている方から「貴婦人と一角獣」の話をしていただいたことがあります。

この作品について詳しいわけではないのですが、ぼくが注目したのは「わが唯一の望みに」という部分でした。

 

いまの「唯一の望み」は何になるだろうか。

 

残念ながら、人生を通した唯一を選ぶことはおそらく不可能です。

しかし、短期間であるならば、それを選択することは可能かもしれません。

 

結局、ぼくは自身のことばで「唯一の望み」を設定することはありませんでした。

が、知らずに「それ」それを決めていたようです。

 

望みだけならば、いくらでもあります。

そう考えると、ぼくは欲深い人間のようです 笑。

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ぼくの「ゆめのはなし」は、ここでひとまずピリオドを打つことになりました。

この1回を為したため、「次」の声が既に生まれています。

人間、何かを始めるとそれを「続ける」義務を負わなければならないようです。

それから逃げてしまっては、たとえどんなに充実した時間を過ごしていても、ということになるのだと思います。

 

ぼくが八雲町で生き続けるためには、この町で何かに貢献する、町のために動くということが必須になってきます。それは人に対しても、土地に対してもです。

 

書いていて思いました。これは「はじまり」なのだと。

ここから、望む人生を歩む。

そのように考えることも、アリなんじゃないかと思います。

 

 

 

 

 

数カ月をかけて企画を練り、実現にこぎつけた話。

夢の話をするにも、あきらめない強さが必要でした。

自分が納得するまで、動き続けました。

休日返上で、仕事を続けてきました。

その結果、いのちは多少ながらも削りましたが、夢を現実のものとすることができました。

 

いま、すごく満足しています。

 

 

お陰様で、気が抜けています 笑。

そして、パノラマパークに行く理由がひとつ減ってしまいました 汗。

 

協力隊になって半年が過ぎました。

これからの半年は、どのように動いていこうか。

余韻に浸りながらも、次の夢はどうしようかとわくわくしている自分がいた、月が遠くで輝いている賑やかな夜のことでした。

 

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