つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

かたち。

昨日ですが、八雲町立図書館の係長が勤務先の「ら・ふも」にいらっしゃいました。

 

んで、こちらを手渡していかれました。

 

 

何かと申しますと、

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はい。これじゃあまったくわかりませんな 汗

 

 では中身は何が入っていますかといいますと

 

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まぁ何かと申しますと、夏休み期間中に読書感想文と感想画のコンクールを図書館主催で行っていたのです。そこに学生の部の他に一般の部もありましたので、活動の一環も含めまして応募をしていたのでした。

 

作品は短編集の中からひとつ選び、何回か読み込んで書きました。

一般の部は高校生と一緒になり、字数制限は2.000文字以内となっており、大学時代の学科レポート1点分に相当します。

そして決定的に違うのは、ブログに書くような調子ではいかないということ。

おかげさまで苦労しました(笑)。

 

 

冊子を見てみますと、応募点数が多いことに気づきました。

感想文部門では240点。

感想画部門では173点。

決して町内のこどもの数は多いわけではないのですが、それでも結構な数です。

審査もかなり時間を要したと思います。

関係者の皆様、ご苦労様でした。

 

自分の小学校時代などを思い返しますと、読書感想文は課題のひとつであったように記憶しています。

現在はそこまで強制的ではないと思いますが、たとえ選択肢のひとつであったとしても、本を読むことと感想をまとめて文字にすることを選び、実行したことはとてもすごいことだと感じています。

 

 

 

 

文字を書くことが好きになる。

文字を書くことが嫌じゃなくなる。

ケースにもよると思いますが、ぼくの場合はそんなに抵抗がないです。

技術力や表現力はまた別の話になりますけど、ね・・・汗

 

 

 

このブログも、3年間は書いていこうと想い、今日まで継続しています。

途中では更新を休むこともありましたが、いま再び書くことを選んでいます。

理由としては、「ずっとついてくる」から。

デジタルの部分がどれだけ発達したとしても、考えて伝えるという根幹の部分が成熟していきませんと、幅が出ません。また、デジタルに頼ってしまうことにより、衰えが懸念されますので、退化させないためにもという考えをもってのことでもあります。

 

先日年末調整の書類を書きましたが、普段の業務においてもなかなか自分の文字を書くことは少ないです。日報もデジタルですから、圧倒的にペンを持つ時間が少なくなりました。そんなんですから、考えが停滞することも出てきます。発展的な考えが浮かばず、ダメ出しを受け、堕ち込むことも出てきます。

 

 

 

ここ最近の経験をして思いましたが、ぼくは沈みやすい人間です。

んでもって、引きずる人間でもあります。

それを克服というわけではないのですが、緩和していくための方法としては、何かを鍛えることも必要なんじゃないかって考えています。強くなるというのは適切な表現ではないかもしれませんが、少なくとも放置するというのが正解ではないことはわかります。

 

つまりは、「何かをしないと」という考えです。

何もしないと、それはそこで「終わって」しまいますから。

 

終わらせたいこともあるでしょうし、終わらせたくないこともある。

ただ自分自身に言い聞かせたいのは、たとえ終わらせたいと思うものでも、自然消滅のような経過だけを辿るのはやめようということ。散々悩んで、散々こき下ろされて、散々堕ちたとしても、この目でしっかりと終わりを迎え、受け容れようというとてもとても自分勝手で厚かましくてアホらしいことなのです。これにどれだけの人が迷惑を被ってきたか。それはそれで申し訳ないとは想いますが、だって考え方の根本が違うんだからしょうがないじゃんで終わってしまうのです。相手の考えも正解の一つであり、ぼくの姿勢も正解の中のひとつなのですから。