つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

「完全」は、もうない。

昨日午後ですが、某通信会社回線でトラブルが発生し、主に携帯電話やスマホの電話やインターネット通信が全く使用できない状況が発生しました。

 

「なんかスマホがおかしい」とその会社のユーザーである協力隊の同僚がつぶやいたのと同じくして、ネット上に「通信トラブル」のニュースが流れました。Wi-Fi回線などを通じてその状況を報告する内容が挙げられ、日本はもとより、世界が混乱に陥っていたと翌日のニュースでその規模の大きさを知ることとなりました。

 

このような状況の中、ワイドショーなどがインタビューをしている模様がテレビに流れていたのですが、

 

「普段からこんなにスマホを見ていたなんて」

 

という、改めて実感しましたといった主旨の発言がとても多かったように思えました。

その前の日ではスマホアプリの機能を使った代金決済システムの報道が流れたばかりで、利便性が高まるといったことのような紹介をされていました。スマホは大多数のかたが所有している機器のひとつであり、そこに利便性が発揮できる機能を持たせることは大きな革命につながります。QRコードなどを利用した決済システムはセキュリティ面でも有効性を持っているようで、今後のキャッシュレス社会を後押しするものとなっています。

 

が、その後すぐに通信障害のニュースが流れてきました。

 

 

世間は便利性を追い求めるいっぽうで、障害が絶えなくなってきました。

 

目につくニュースとしては

自動車会社の不正検査

原発の整備不良

耐震構造装置の不正

自動運転システムの不具合

ATM機器の不具合

 

といったところでしょうか。

不正は障害とは言えないものの、結果見えるものと見えないものに対する不具合を生むという意味合いで掲載しました。ここから見えてくるのは

 

「完全は、息が詰まる」

 

というものではないかと感じています。

 

 

 

表現を変えますが、「漏れがないように」という意識はこれまでに続いてきたかと思いますが、昨今はそれに輪をかけるようにしてより高度な、というよりはより厳しい意識で取り組んできた印象があります。

 

厳しくなるということは、締め付けが強くなります。そうなりますと、余裕の部分がどんどん少なくなってしまうということにつながります。

 

余裕があるからこそ、見えてこなかった部分というのはもちろんあります。

だからこそ、厳しくしたほうがいいという意見もあると思います。

しかし昨今の不祥事報道を見てみますと、他人を責めているようで実は間接的に自分の首を絞めているのではないかという感覚になっています。

 

ものごとに正邪の判断といいますか、すみ分けは確かにあります。

ただ世の中は、その2つだけではすみ分けできない分野も確かにあります。

それを無理くり、というのは適切な表現ではないのかもしれませんが、どちらかの範疇にしてしまい、ああだこうだと上から目線で決めつけてしまいますのは、長い目から見て損になるのではないかと感じました。

 

 

また、わたしたちは「完全」という表現に「依存」をしています。

もしくは、それに近い存在のものに絶対の信頼を寄せてしまいます。

だからこそ、今回のような出来事が起きてしまいますと、「何をやってるんだ!」「こんなに信じていたのに、どうしてくれるんだ!」と怒り心頭になります。

味方から敵にしてしまうのです。

 

それは仕事や友人関係、家庭に家、車や身近な電子機器など、広範囲に影響します。

ひとことで言ってしまいますと、長期間同じ品質のままのものは今後少なくなる可能性がより高くなるというところでしょうか。

 

地震や災害などで土地に対する価値もひっくり返ってしまいましたし、以前はなかったものが新しくできるといったことで地価をひどく気にされるという方も突出しています。そしてそれを守ろうとするのに必死になってしまっていることは、どこかで描いていた「完全」を求めるのに似ていると思いました。

 

 

 

誰もがわかっていることですが、この世に「不死の薬」は存在しません。

しかし、いまわたしたちが社会のいろんなものに求めているのは、「不死の薬」を求める姿勢と似ているのではないかと思います。

 

昨今はアウトドア用品も広く普及してきました。

先の北海道胆振東部地震で電気といった近代的な存在のありがたさを痛感する一方で、アナログ寄りの手法で生活をすることがとても新鮮に感じました。このことから見えてくるのは、「依存しすぎない」ことや「過信をしない」ことに尽きると思います。

 

停電のときもそうでしたし、今回の件でもそうですが、こういった「不測の事態」が頻発してきた今だからこそ、シフトを少しずつ変えていくものがあるのではないかと感じていました。