ぼくは「奇跡」を起こしたかった。
先日、このような本を購入しました。
「奇跡の本屋をつくりたい くすみ書房のオヤジが残したもの」ミシマ社刊
著:久住邦晴
解説:中島岳志
この本の存在を知ったのは新聞紙面にある広告だったのですが、とある方にお逢いしたことで購入に至りました。
結果、号泣 笑。
不謹慎(かな?)ですが、職場で読んで涙し。
自宅で読んで、嗚咽を漏らしました。
本を読んで咽び泣いたのは、本当に久々のことです。
本を読み進めて、くすみ書房が歩んできた道の詳細を知りましたが、ひとことで言えば「驚き」の連続でした。
個人の思い出を述べますと、くすみ書房の存在はメディアを通して知りました。
その頃は札幌市西区に店舗がありました。
「なぜだ!?売れない文庫フェア」も、地元の情報番組で知りました。
その時はお店を足を運ぶことはなかったのですが、時間が経ち、店舗が厚別区大谷地に移転となりました。
そのとき、お店に何度か足を運んだことがあります。
大谷地の書店の配置は店舗の1階と2階にありました。
想えば広い敷地であったと思います。
それが、ぼくの中に残っている思い出でした。
くすみ書房自体、順調な経営状態だったとは言えなかったようです。
それはくすみ書房だけではなく、多くの書店が抱える事情なのだと考えています。
そのうえで、久住さんはどうすればよいかを必死に考え、学び、そして実践してきています。その熱意たるや、すさまじいと感じました。その結果、売上は向上します。
が、時代の波が与える影響は甚大なものでした。
幾つかの困難を乗り越えはしたものの、最終的にくすみ書房は閉店を迎えます。
この本は、くすみ書房が活きた時間を刻んでいました。
素直に、そう想います。
タイトルにある「奇跡の本屋をつくりたい」は、久住さん自身のことばです。
奇跡を、つくりたい。
久住さんは、そう言っておられます。
そもそも、奇跡とは、つくれるものなのだろうか?
奇跡の意味を少し調べてみました。
では、久住さんが何らかの神通力に頼っていたのか?
決して、そのようなことはありませんでした。
むしろ、自分で「何ができるだろうか」と考え、行動を常に起こしていました。
詳細は本をご購入いただき、そして読んでいただきたいのですが、久住さん本人もその後の展開を見て、何度も驚かれたそうです。それは第三者から見ればまさしく「奇跡」だったように思います。
終始「お金」に悩まされてきた書店経営だったはずなのですが、久住さんが考えてきたことは、「お金」よりも「多くの人が本に触れること」だったそうです。
お金も大事です。これは事実です。
しかし、お金より優先させたいことがあった。
そこが「キモ」なのだと感じました。
結果、数々の奇跡が起きます。
本の中に「奇跡」が込められている。
そんな本はこの世にそう多くはないでしょう。
とても、羨ましい、と思いました。
実は、八雲町に移住してきて、何が出来るだろうかとずっと考えています。
自分の持ち味としていろいろと挙げることは出来ますが、
それが果たして意味を為すのか、正直わからないでいます。
八雲町が地域おこし協力隊に課したミッションは
・にぎわい創成
・担い手の増加
にあります。
これに対しての「正解」は無数にあります。むしろ正解がひとつだけならば教えてほしいくらいです。
いつだかも書きましたが、禅問答を続けています。
木育のイベントを手掛けて実感したことは、自分はつくづく商売には向いていないこと。
そして、自身の利益ではなく、第三者の利益を考えると、力を発揮するということ。
生きていくうえでは欠けているものが大きいですが、何かに貢献するという意味合いではとても大きなものを持っているのだと気づきました。
札幌市から八雲町に移住したことは、いわば背水の陣であります。
もう、自分を追い込んだということです。
覚悟を決めてやれ、ということです。
それを自覚しているはずなのですが、どこかで気持ちを緩めてしまいます。
奇跡は「起こす」ものなのか、それともどこからか「もたらされる」ものなのか。
人間は、その両方を望んでいるいきものです。つまりは使い分けをしています。
かくいう私もそうです。
しかし、これからは「奇跡」を意識しないほうがいいとわかりました。
奇跡を祈って待っていたとしても、望む奇跡はやって来ません。
ならば・・・というところです。
この一冊の本は、灯を少し明るくしてくれた本でした。
以前の日記に書きましたが、この本を買うきっかけとなったのは、久住さんの娘さんにお逢いすることができたからです。
少ししかない思い出を聞いてくださりました。
お話を聞かせて下さったときの目が、とても印象的でした。
まだまだ、どん底に近いくらいの未熟さですが。
這いつくばって、センスを磨いて。
役場の仕事ではなくとも。
いっぱしの仕事をしていけるようになりたいと思いました。