「やろうと思ってた」は、「やる気がありません」ということ。
じつは一週間ほどひとり暮らしの生活を行っていまして、悠々自適(でもない)な生活を送っています。
今朝は早めに起床して洗濯機をまわし、トイレ掃除を行い、自分で珈琲を淹れて朝食をとっていましたらなぜか泣いていました 笑。
天気もどんよりです。
このあと雨が降りまして、夕方には雪に変わりました。
ひとりでいますと、家事を含めて色々とやらなければならないことが出てきます。
反省点として想うことは、「頭で考えているうちは行動していない」ということで、例えば「ゴミを出しにいかなきゃな~」と考えていたとしても、実際にゴミ出しを行わなければ、ゴミはそこに残ったままになります。そこでぐだぐだしていますと、ゴミ収集車がいつの間にかやってきてゴミを出しそびれるというなんともいえない結末を招きます。
それに対して言い訳しても仕方のないことだというのはわかっていただけるはず。
だって、ゴミは手元に残ったままなのですから。
これに似た事例は、他にもあると思います。
多くの方が経験していらっしゃるのではないでしょうか。
ゴミなげ(捨てることを言います)や掃除など、あまりやりたくないことに関しては「いつかやろう」という気持ちがあります。ぼくもそうで、つい先延ばしにしてしまいます。散らかっても汚れても、支障はないしいつかやればいいからと想いつつ、月日だけが流れてしまいます。
果たして、支障はほんとうにないのでしょうか?
がらくた整理をしてきた人間として言えることは、支障は「ある」と答えます。
「ある」とした主な理由は、「環境の劣化」にあります。
汚れが溜まりますと、環境が悪くなります。
悪くなっても実質生活はできますが、いつ病弱になってもおかしくない状況を招きます。
だって、手元に「汚い」ものがあるのですから。
それでしたら、ゴミの日にはゴミを出し、掃除もするべきなのです。
そしてよく言われるのが「運気」。
感覚でものを言えば、清潔な空間と汚い空間とでは、空気のありかたが違うと思います。
つまり、汚い空間は空気が「よどみ」ます。
そうなると類は友を呼ぶではありませんが、よどんだものが引き寄せられます。
ゴミがどんどん増えていくのは、こういった仕組みからかも。
感覚の話を抜きにしても、目の前の光景はなんとかしなくてはなりません。
それに対し「やろうと思ってました」とはいいつつも、結局やらなかったのであれば、結果「やる気がない」と断定されます。
昔も今も、自分のやりたいことだけやればいいという方式は一切ありません。
むしろやりたくないことのほうが多くなっているのが現代です。
それは自分のやりたいことだけを優先させる人が多くなったからではないかと思っているのです。その結果、やりたくないことが放置され大きくなって、問題として提起されています。モノは言うけど行動をしていないのであれば、それは、「やっていない」ことと同じです。そんなかんたんなものじゃないから!と言われそうですが、根幹はコレだとぼくは考えています。
今朝、開店前のら・ふもです。
下り坂の天気のため、店内が暗いです。
きょうも明日も、やらなければならないことがたくさんあります。
つい考えに没頭しがちですが、積極的に行動に移していきたいと思います。