つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

忙殺されないように。

旅の準備やら、業務のことなどで更新がこの時間になってしまいました。

 

 

明日からの3日間は事前にお知らせをしていました「ひとり旅」に出てきます。

その期間の更新記事は何も用意していませんので、現地から更新することにしました。

ただスマホからの更新になるため、簡素な記事になることをご了承ください。

 

 日々を考えてみますと、

 

デイリールーティー

 

なるものが出てきます。

 

つまりはその日で必ずやらなければならないことというものです。

 

しかし仕事やプライベートにおいては、このほかにもやるべきものごとが出てくることは必至です。季節特有のものであったりなど様々ですが、いろんな物事の組み合わせに多くの人は日々悩まされ、そして振り回されていることと思います。

 

それではいけない、と、誰もが思っています。

しかしそこから抜け出せないこともまた事実で、流動的に動いてしまうこともしばしばあると思います。それが続きますと、忙殺といった表現がひょっこり顔を出してくるんじゃないかなとふと思いました。

 

仕事に関しては、そのすべてが必要なものだと思います。

ただ肝心なのは、それらの業務を「点」として指導するのではなく、全体の中のどの「線」になるのかを視覚化していったほうがいいように感じます。

ただ教えられたことを覚えていくのは簡単なようにも思うのですが、順序立てるとなりますとまた違った話になってきます。人のやりかたを見て覚えて欲しいという暗黙のお願いもあったりするのでしょうが、全体像を知らないままですと、業務を覚えていく側もそれはそれでかわいそうな気がしてなりません。

 

現在の仕事、実はこの流れの詳細が未だ掴めないままでおります。

最近では少し落ち着きましたが、年度初めのころは次から次へといろんなことが出てきまして、電話やメールの恐怖症になりかけてしまいました。

 

 

 

 

どの職場においても、口頭で説明することは出来ます。

しかしそれでは十分ではないと考えています。

アウトプットはよいことなのですが、説明することが頭の中にかないのがネックです。

となりますと、忘れてしまったら・・・という危惧が発生します。あとはその時の価値判断ですね。特段話をしなくてもいいという感じで。

 

協力隊員だったとき、業務の説明を口頭で受けました。その他のルールのようなものも口頭で受けました。正直そこには不安を感じていたため、ペーパーにして認識にずれがないようにしたほうがいいのでは?といった意見を述べたところ、「そういったやりかたもあるだろうけど、それはやらない」という回答となりました。仕方ないのでその後も様子を見ていましたが、言葉のニュアンスが微妙に変わる感覚があり、ちょっと危ないな~と思いながら協力隊を退任したという経緯があります。

 

 

何にせよ、やることはまだまだあります。

ぼぉ~っとしてしまいますと、どこかの5歳に叱られる勢いです。

落ち着いたら・・・何て言っていましたら、年末年始になっているかも。

そうならないように、しっかりと進めていきたいと感じたのでした。