つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

【詩】掬われる足元

朝 おかしな夢を見ました

 

それはデッキブラシのようなモップのような はてまた掃除機のようなものを持っていたのですが その先端の部分に何か乗っていたのです

 

その動く何かですが 小さな小さなねずみでした

 

暗かったので色はわかりませんが 代表的な色のねずみでした

 

そのねずみはちょろちょろと動いた後で先端から他の場所に移動しました

そこで目が覚めました

 

 

 

最近は夢そのものを見ることがなかったので不思議に思いネットで調べてみますと

あらまあ沢山と吉兆の解説があるではありませんか

どうやらねずみが出ること自体災いの象徴であるらしいのですが

その後の展開によっては吉となるようです

 

わたしは自分で見た夢の内容を 凶としてみました

 

そうしますと 不思議と次々にうまくいかないことが起こりました

大小の判断はできませんが

まさしくねずみがもたらしたものだと感じています

 

遠い放牧地から徒歩で戻るときほどみじめなことはなく

早急に対応しなければならないことが山積しているなかでの出来事は

プライドどころか 仕事もろくにさせてもらえない展開に

牛もいない山奥で 大声で泣きたくなるほどでした

それほど うまくいかないときはうまくいかないのだと感じました

 

 

忙しい毎日というよりも

何をどうしていけばいいのかというのを手探りする毎日が正しい表現で

正解を探すよりも 問題すらも理解できない毎日になっています

専門的なことであったにしろ

事の対処を求められる当事者としては

無力なことこの上ないのです

 

表現は阿呆ですが

愛したい人がいともかんたんに他の存在の元に身を寄せ

これまで愛を与えていたはずなのに

「これからはこの人から愛をもらうから」と

いともかんたんに言われてしまうほどの無残さを痛感するのです

 

これほどみじめで 背中が寂しくなることはありません

 

 

 

しかし どのような災いでもなんとかしなくてはなりません

ある宗教の教えで 大きな災いだったものが小さなものとなってもたらされるといった表現のようなことを教えられたことがあります

 

そのようになれば万々歳なのですが

それは前提として その宗教のお経を読み 教義を信じなければもたらされないという注釈がつきます

 

そのような特別性が この世にあるとは思えないのです

 

であれば 大小にかかわらず災いはそのまま受けなくてはならないのではないかと思うのです

 

そして克服しない限りは その災いはいつまでもやってきますし

服装を変えて再び訪れるはずのものなのです

 

これほど身体中が締め付けられる経験は久しぶりなことを思い出しました

このみすぼらしい生命がいくつあれば足りるのだろうと考えたことも正直あります

ただ明日がある以上は 解決に向け注力していくほかありません

祈りではなく 行動なのです

 

 

行動すれば 足元を掬われることもあります

しかし掬われたならば 倒れることなくその場に残ることが大切です

その諦めの悪さが 燻りといったものに対する力のかけかただと信じます

 

 

ぼくは凡人です

無教養もいいところの人間です

それがこれからいろいろなことに立ち向かおうとしているのですから

方々から笑われて当然だと思います

 

無精髭が生い茂ろうとも

頭頂部が寂しくなろうとも

生気が衰えようとも

 

この先に試しのこたえがあるのであれば

ぼくはこの修行を喜んで修めようと思います

えらい人間になるためではありませんが

己の人生という課題を通して

正しい燃え尽き方を模索しようと思います