ことばの難しさ。
人間が100人いたら、100通りの伝わり方がある。
人間が100人いたら、100通りの解釈の仕方がある。
伝わり方も、解釈の仕方もひとつにならないのだろうか?
これって、永遠の課題と言いますか、試練なのかもしれません。
現在、この場所は実習教育の場となっていますが、あちこちからガイダンスが入ります。
ぼくもその中のひとつをアナウンスするのですが、書いていることが悪いのか、なっかなかこちらの意図(思惑)通りになりません。最近ではイタチごっこ状態となっておりまして、いささか疲れております・・・
ただ感心することは「この文章をそんな風に捉えるのか」ということ。
それは自分では考えられない1面であるということです。
やはりたくさんの人と接するというのは、どうにも大事なことのようです。
「ことばを究める(極める)」。
これは正直、終わりのないものです。
時に迷い、時に戸惑い、時に怒り、時に悲しみ、時に笑う。
時に思慮深く、時に浅はかに、時に後悔し、時に先を見据える。
ひとつのことばから、無限の反応が起こります。
薬やサプリメント等と比べても、即効性があるように思います。
それだけ大きな力・効果を持っていますし、その反面も・・・ということにも。
奥が深く、そして広いのがことば。
これからもずっと迷うのは必至です。
が、なんとかしていきたいものです。
トライ&エラーやPDCAといった用語の通り、実例を重ねて行くことが必須になります。そうしていきませんと、何をどう変えていけばいいのか?が見えてこないからです。自分の頭で考えはするのですが、外からの情報がありませんといくら変えたとしてもその領域が変わっていないのであれば、徒労に終わってしまう可能性は高くなります。
変わり方は、ふたつあることに気づきます。
ひとつめは自分のなか「だけ」で常に変化していくこと。
ふたつめは自分だけではなく「他人の影響」を受けて変化していくこと。
どちらも変化なのですが、興味深いのはふたつめのほうかと。
ひとつめは結構苦労しそうな印象です。
この場所に来て住み、そして仕事をすることは結構閉鎖的なのではないかと思っていたのですが、ところがどっこい、オープンもオープンです。地域おこし協力隊時代に劣らず、様々なやりとりが発生しています。
ここに就職する前はイメージとして「出家」のようなものを描いていましたが、全然違いました 笑。どうやらここでも目いっぱい苦しまなければならないみたいです。
きょうは九州方面で雨による警戒が続いています。
八雲町も天気が悪く、夜には雨はあがりましたが星空はまったく見えない天候となっています。
晴れの日をつい待ち望んでしまいますが、雨の日でも曇りの日でも、絶えず何かを追い求める姿勢でいることができればと思った、ふがいなさを感じた1日でした。