都会であろうと田舎であろうと
夜遅くまでそこの部屋だけに明かりがついていることは多い
明かりがあるということはそこに人がいるということ
外の明かりなど気にせず
忙殺されることに支配されてしまいがちのようだ
雲の隙間から太陽の光が射しこんだとき
何故か嬉しさとともに
心身の雄たけびが聞こえてきそうな感覚がある
それほど明かりを欲していることに
久々の太陽を見ながら気づいた
よく 誰かを太陽だと比喩し 光だと称えるようになった
しかしそれもどこかで曇る場面があり 雨や雪に見舞われる場面もある
肝心なのはそこで光や太陽を変えないことなのではないかと振り返った
ぼくの光は 太陽は 変えてきてしまったのだろうか それとも
変わることは仕方のないことで
年齢を重ね
住む場所が変わっていくと
太陽を見る方向も変わっていくように
何が光なのか その価値観も変わっていくようだ
それは悪いことではないはずなのに
どうしてもそこで生まれる哀しさに対して卑屈になってしまう
その時に射す明かりほど 痛くて仕方ない
誰かの明かりになりたいと思うこともあれば
誰かに明かりになって欲しいと願うこともある
結局はその繰り返し
繰り返しなのだ
もう二度と何も失くしたくないと思いながらも
毎日明かりを見るように
何度も何度も繰り返してきてしまった
何年も 何万年もだ
それをかんたんに吐き捨てる人ほど
人生を甘く見ているとしか言えない気がする