つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

これからの「つくりかた」を考える。

ここ数年ですが、自然災害等により住宅をはじめ交通網、海や畑などに代表される農地、森林や山、インフラ等々広大な分野にわたりとても大きな被害を日本列島に及ぼしています。北海道も昨年は想定外の災害に見舞われました。

 

改めまして、被害に遭われました皆様に御見舞い申し上げます。

 

そして先日、沖縄県の観光名所として名高い「首里城」が火事によって大部分が焼失。これは日本にとってもひとつの「象徴」が失われた瞬間だと思いました。

 

 

 

沖縄県は10年近く前、一度訪れたことがあります。時期は2月。

確かプロ野球のキャンプシーズンだったと思います。

 

その時に首里城を訪れたのですが、その時の首里城は工事中でした。

歴史ある建物ですから何かと維持は大変です。

その時はきれいな首里城を後日見に来ようと思い、その場を後にしました。

 

そんなことを想いながら、ニュースを見ていました。

 

 

 

複数の台風で被害に遭った本州。

旅行や仕事の出張などで足を運んだところもありました。

記憶に残っている風景がまったく変わってしまうほど悲しいものはなく、打ちのめされる想いが残ります。

 

1日も早く、日常が訪れることを願い、行動して参ります。

 

 

 

 

災害の規模は年々大きくなり、様々な分野への打撃を与えています。

生産や観光、そして生活と多岐に渡りその歩みを止めさせてしまいました。

復興に向けて歩みを強めてはいるものの、膨大な時間がかかることだけは現在のところ分かっている状態です。

 

 

繰り返し視界に入ってくるこのような光景を見て、素朴に感じたことは

「何故毎年(ここ数年)同じような災害が起きるのだろう」ということでした。

 

受け止めたくはないですが、原因があり結果があります。これら災害の結果も、相応の原因があるからなのではと個人的に考えていました。

 

 

では何が原因なのでしょうか。

これは人によって意見が分かれるところと思います。

ただ必ず出てくるワードとして「環境問題」が挙げられます。

ひと昔前ではオゾンホール云々といった言葉が出てきていましたが、それに対して人類が何か対策を打つことが出来たのかと言われれば、正直わかりません。

環境の変化が速いのか、人類の対抗策が不十分だったのか、それについて激論を交わす余裕はどんどんなくなってきています。

 

 

ヒートアイランド現象も台風の通り道になっている現象も、そうならないための実践が求められています。そのためには、今までの行動を見直していく必要があります。この行動とは経済活動を含む一切の行動を言います。

 

 

先日の台風では川が氾濫するという現象が幾度も発生しました。

一度に大量の水、それも想定外の量が流れ込み、川としての構造を維持できなくなったために氾濫が起きてしまったと考えています。

 

最近見るテレビ番組では、かつて川はよく「暴れ川」という言われ方をしており、川が氾濫することはよくあったそうなのです。それを防ぐために行われるものがいわゆる「治水」で、地元で言えば札幌市とその近郊を流れる「豊平川」がその例だと記憶しています。

 

先人は地形の理(ことわり)を理解することに努め、そのうえで利用していました。

 

 

 

となると、これから先必要なのは自然相手の事業になるのでは?と考えました。

 

つまり水に関しては治水だし、山に関しては山と森が関わってきます。その他土や海なども含まれていきます。

 

個人的な視点からですが、人間は何かと建物をせっせと造るのですが、自然の造成、または保全に関しては食指が向きません。これは何故だろうと考えますと、収入に結び付きにくいというのが答えになるのだろうと思います。収入につなげるためには常に新しいものを造り出さなくてはなりません。その結果、古くなった建物を撤去しては新しい建物を建てたり、かつて自然豊かであった土地を住宅地にしてみるのです。それがいいか悪いかの判断は避けますが、これからは違う方法で収入を得ることを考えていくべきではないかと感じています。

 

 

何かを建てるのではなく、

山や森、そして土や水などを「守る」事業です。

道路やトンネル、鉄道や水道などの工事も大事だと思いますが、最近は優先順位が変わったように思えます。なんとなく公共事業をイメージさせる分野ではありますが、これを民間で手掛ける仕組みを作っていくべきなのではと感じています。

 

というのも、建築業は現在人材不足です。これはもう何年も前からわかっていたことなのですが、今日においても解消されていません。手に職を持つというキャッチフレーズの代表格だと思うのですが、いつの間にかプロの数は少なくなっており、各方面の工事に関しても人手の確保や工期を守ることが難しくなっていると聞きます。

 

クリエイティブな分野ではないと思われるかもしれませんが、自然相手の仕事は毎日がクリエイティブです。パソコン上で起きるミラクルももちろんいいですが、自然相手のミラクルはあらゆる教義をも凌駕します。加えて自然相手の仕事は決してなくなることはない(またはなくしてはいけない)ものです。言い換えれば、今この分野で人材を育てていくことが、この先の時代の仕事を決めていくのではないかと勝手に考えています。

 

 

 

何故、毎年災害が起こるのだろうか?

 

個人的にこの問いを何回か自分に対して問いかけてきました。

 

そしてふいに返ってきた答えが

 

「先延ばしにしてるからじゃない?」

 

というものでした。

 

 

 

日本は、わたしたちは「何を」先延ばしにしてしまっているのでしょうか。

 

その先延ばしを止めるためには、何をすればいいのでしょうか。

 

悲劇や惨劇がこれ以上続けさせないためにも、本気を向ける方向を定めていかなくてはと思いました。