つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

早さ(速さ)と遅さ、どっちが大事?

自身の仕事や日々の報道を見ていきますと、詰るところ「経済」にブチ当たります。

これはもうどうしようもないことで、この世界が経済と言う名の車輪を回し、その回転を維持していこうと弛みない努力を継続しているからだと言えます。

 

しかしながら、その効果について人間は速効性を求める傾向にあります。事前に時間がかかる、数年は・・・という説明をして納得してもらったとしても、途中でひっくり返る可能性が充分に潜んでいます。

 

 

いつからこの早さ(または速さ)を求めるようになったのでしょう。

まるで、それを求め、実現させることがクールであるかのような印象です。

果たしてそれは正しいことなのか?

素朴な疑問が浮かびました。

 

 

 早さ(速さ)を求めるには相応の理由があります。

「時は金なり」という言葉にもあるように、1分1秒がお金の増減の分かれ目になります。1秒でもはやく顧客を掴み、売り上げを確固たるものにしたいという明確な目標がある。それゆえの「はやさ」なのだと思います。

 

はやさは決して神といった特別な信奉の対象ではないと思いますが、リアルに応えてくれる存在として確立しているのだと考えます。

 

 

 

では、はやさの反対である「遅さ」は、敬遠されるものになっているのでしょうか。

 

素人感覚で考える限りは「いいえ」ではないかと考えています。

 

 

大きな理由のひとつとして、「時間をかけて」作られるものがあり、その価値が認知されていることをわたしたちは知っているからです。

そうなりますとはやさも遅さも「どちらも大事」ということになります・・・

 

 

 

 

が。

 

 

 

どうもそれらの価値を引っ張り出す領域が異なっているように感じました。

 

 

 

つまりはやさに関しては「仕事」や「人生」といった、自分の生活の根幹を為すもの。

遅さに関しては自分や周りの人と過ごす際に用いる「嗜好」に対して。

 

用途に応じて使い分けている、といったところでしょうか。

 

 

もちろん、すべてのことが上記に当てはまるとは言えません。

 

実際には異なるでしょうが、少なくとも頭の中で考えていることはほぼ一定で、この摂理はなかなか変わることはないでしょう。

 

 

 

 

しかし。

 

 

 

このひとつの真理(と言ってしまいますが)は、近い将来覆ると見ます。

経済がはやさを求める時代が減速し、時間を掛けて精製等をすることが推奨される時期が訪れます。過去にもそんな時代があったと思いますので、そういった「波」が来るんだろうな~と勝手に想像しております。

 

 

 

 

 

わたしの場合、やはりはやさを求める場面と、遅さを求める場面が異なっています。

人間関係でもはやさと遅さをうまく使い分けていく必要があると感じていたのでした。