新年の境目によく目にするもの
それは今後の1年を占うという各種媒体の記事だった
占うほうの労力も相当なるもののはずなのに
それに目を通す側のほうは 確実性のみを求めてしまっている
それはもう占いではなく
確固たる明日が欲しいだけなのだと知る
その時点でもう
占いは占いではなくなる
それでも 希望を乗せた未確定な声に耳を傾けるのは何故なのだろうか
いつしか人間は数字を求めるようになってから
自分の人生や未来のことについてまで
100%の確率を求めるようになってきた
それは成果主義に等しく
他人を評価する材料にまでなってしまっている
自分自身が100%なのかどうかも検証せず
他人ばかりを推し量っている
それはまるで
バリケードを立てて安全地帯にいるかのような光景だった
いまやもう
誰もが怖れることを畏れるようになってしまった
いつしか畏れは失敗を指すようになり
それを打ち払うかのように充実さや幸せを求め
ブログやSNSにひたすら発信している
その時点では虚構の成功でしかないはずなのに
リア充を地でいっているかのような書き込みに終始する
そんな人の声など 信用できるわけがない
なんとかして100%を維持したいだけなのだ
ぼくに残されている可能性は100%どころではない
一桁であっても
0%であっても
その数字はその時点での数字にしか過ぎない
100%は存在しない その反対で 0%だってないのだ
それをわからない限りは
また迷い込むことになるだろう
束の間に酔いしれるだけなのだと