つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

誰もが「〇〇、後ろ!」と叫び、自分の声で振り向かせたと成果や実績を言い張りたいのだ。

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本日午後6時ころの空。

雲ひとつありません。

 

天候は最高なのに、気分は下降するばかりです。

 

 昨日ですが、全国に緊急事態宣言が出され、北海道では中でも警戒地域として指定を受けました。これを受けて北海道内では自粛の空気が改めて引き締められたことになります。夜のニュースでは陽性反応が出た人数が過去最多となったと報じられていました。

 

 

本日は外勤で午後から街中に向かいましたが、何だかしーんとしている印象です。

その「しーん」が、ずっと続かないことを祈ります。

 

 

自粛となりますと、店舗の営業は死活問題になります。

開けていかなくては生活が成り立ちません。しかし、現状では開けることで非難の対象となる可能性が高くなります。開けていても理不尽なことを言われるという話があちこちから飛んできています。果たしてどちらがいいのか?と、部外者ながら悩んでしまいます。こういう時ほど、ズレた人は「義務だ!権利だ!」と主張して自分だけの安全を確保しようとしますから。

 

 

 

 

 

 

で。

 

 

 

 

合わせて報道からですが、兼ねてより要望されていた「支給金」ですが、一律で落ち着くようです。最初は基準を設けていたようですが、批判を含めた様々な声に呼応するかのように、一律での支給を固めたようです。ひとりあたりの支給額は少ないと感じるかもしれませんが、対象を考えるとその規模は恐ろしいくらいの額になります。正直、「この先大丈夫なんだろうか」と思ってしまいます。

 

実はこの決定が見られてからあちこちで「わたしたちの声が実現した(一例)」

という発言で成果や実績を強調する声が見られました。

 

 

なるほど。

どうやら、人間といういきものは何かと「自分が結果を出しました!」と言いたいようです。

 

これに限った話ではないですけど、何かしらの「益」に対して少しでもその輪の中に入ろうとする輩は実際にいます。そうやって生きている人たちが実在します。しかしフタを開けてみると、何のことはない~という場合が多くあります。いかにも自分は~という口調で近づいてきてはあれこれ言いますが、実はその人は家賃すらもまともに払っていない人だったりします。武士は食わねど高楊枝という気概なのかもしれませんが、個人的には大きく誤っていると思います。まずは払うものを払いなさいよ、と。

 

成果や実績を強調するならば、発言だけで「動く」のは「ローリスク・ハイリターン」に見えます。コロナに関して言えば、発言して、メディアが「いいように」取り上げて、あわよくばそれが反映される。そしていつかは・・・という具合なのです。肝心なところを見ているようで見ていないと思うのです。自分の発言で焚きつけるだけ焚きつけて、です。何だかやり方が違うんじゃないかと思うのです。もうわかりませんが。

 

 

アドバイスをする際にも、この傾向が強く出ます。

意図してもしなくても。

わかりきったことをいう場合はそうじゃないこともあります。

しかし、何の影響か今や誰もが「コメンテーター」であり、専門ではない「評論家」になっています。いわゆる「自称」です。これほど恐ろしいことはありませんし、性質の悪いものはないです。

 

 

これからもこういった発言はどんどん目にするでしょうし、聞くことだと思います。

これに賛同する人、反対する人、様々だと思います。

肝心なことはそこなのか。

類を見ないこの騒動で、見極めていこうと思います。