つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

その「数字」は、あなたのものじゃない。

ぼくが使っているWebツールですが、このブログの他にはSNSがあります。ほぼロム専で、SNSによっては時折リンクをしていたりします。(Twitterは別)

 

そうしますと、フォロワーが増えたりします。きっかけはわかりません。

フォロワーは増えては減り、の連続ですが、あまり数を気にしても仕方ないと思っています。

 

ブログの読者なり、Twitterのフォロワーなり、少数でもいらっしゃるのは、「ブログ等で稼いでいる人(または稼ぐ人)」。いずれも自称(と思っている)なので、その方の実績が「アフィ6桁達成!」なのかどうかもわかりません。

 

最近では、ユーチューバーがアツいのだろうな、とも思っています。

登録者数をアカウントの説明文に記載している人もおり、この世界も大変なのだな、と思ってしまいます。

 

 人は相手に説得力を持たせるとき(または実力を誇ろうとするとき)、どこからか「数字」を持ってきます。

 

自営業の場合は年収〇〇万と持ち家の建築費。

学力であればAIや試験の点数。

会社員であれば実績の売り上げ。

Webでビジネスをしている場合は、フォロワーやアフィリエイトなどの実績値。

文章を書いている場合は、発行部数やベストセラーなどの数値。

 

ない頭で考えても、これくらい出てきます。

それだけ人は数字で相手を信用させたいと思っていますし、信用したいとも思っています。時には愛ですらも、数字に置き換えます。

 

 

ですが、その数字は果たして「ほんとう」なのか?

それは相手を信じ込ませるための「方便」ではないのか?

牛の世話をしながら、ふとそんなことを思いました。

 

たとえその人がいろんなビジネスで「売り上げ〇〇万!」と叫んでいても、同じ結果を導き出せる人は「いないに等しい」です。情報商材ビジネスもそうですが、それらを購入、またはセミナーに参加しても実績を作ることが出来ないのは、その人の行動に問題があると言われるのが席の山で、お客さんが成功することは「考えていない」のが本音ではないでしょうか。

 

 

逆に、統計などで導き出された数字にはそれなりの説得力を持ちます。

登録者数が何万人いたとしても、イコール人気や信頼度、実績にはつながりません。

もう、そういう時代になってきています。

それでも、逃げ切ろうとする人はいるでしょう。

その人が何を手にするのかを、見ていけばいいと思います。

 

 

今働いている職場でも、いろんな数字がついて回ります。

説明ができる数字が出来てくるように努力することこそが、これからの時代に求められることではないかと思いました。

そのためには、しっかり仕事に向き合わなくてはなりません。

 

明日から5月。気持ちを引き締めていこうと思いました。