つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

「変わる」ことを想定する必要。

緊急事態宣言の期間が延長されたようです。

 

 

ここ最近はニュースばかり見ていて味気ないのですが、このご時世だから仕方ないとも思っています。

 

 

自分に即した毎日はと言いますと、目下牛の世話で朝から晩まで身を粉にして働いております。日々のルーティーンはあるものの、カットインでいろんなイベントが舞い込んできます。そして結局は日暮れまで仕事をし、帰宅後すぐに風呂に入ってご飯をいただくというサイクルです。

 

この時期は夏場の放牧に向けた準備を行うはず・・・なのですが、牛舎仕事でも相当量あることと、ちょっとかわった牧場であるため、毎日人員が充実するわけではないのです。

 

昨日も今日も、写真を撮る余裕がありませんでした。

 

 

なので過去のものを載せておきます。汗

 

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 さて。

 

 

日々の報道に触れながら毎日ありがたく仕事をさせていただいております。

その中で感じたことは、「今後の仕事が変わっていく」というものではないかと思います。

 

 

創世記の頃は、自給自足の生活が主だった、と思います。

そこから、サービスで生計を立てる人が生まれ、現代においては不労所得を手にする人(ほんとうにいるのかどうかは別として)など、派生の一途を辿っています。

 

しかし、新型コロナの英影響で、全職種の人に大なり小なり影響が出ています。

中には廃業、という方も少なくないと聞きます。

相手(お客)から料金をいただくことが出来ないのは、商売としてはあがったりです。

これはもう、「淘汰」に近い現象なのだと思います。

 

なんとなーくですが、情報商材を売る人は今後増えるでしょうが、衰退(人気などの失墜)します。スピリチュアリストは、コロナ時期の挙動に対して検証が始まります。大なり小なり、暴露ではないですがその人の質というものが暴かれると思います。これには宗教家も含まれます。自分でモノを作る人は、収入こそ減りますが、仕事がなくなったわけではないので、モノを作り続けます。特に第一次産業の人は、自給自足が可能です。これが地味に大きな効果を生みます。飲食店等は残っていきますし、必要です。そんなに必要とされていないと「気づかされた」仕事がフェードアウトしていくのではと勝手に考えています。誰かのお金で生きていく人が多い今日ですが、その根本の部分が強制的に見直されると思います(当人は抗うでしょうが)。

 

幾つかの業種を渡り歩いてきましたが、もしそのままそれらの仕事についていたならば、コロナの恐怖を感じながら仕事をしていたに違いないと思います。そういう意味では、この場所に移住し、そして職を得て就職したことは、本当に大きいと感じています。数奇な運命(と、自分で言うのもなんですが)だと実感しています。

 

世間の話は置いておいて、もうすぐ放牧の時期です。コロナに関係なく、このルーティーンはこなさなくてはなりません。自分たちのために、そして牛のためにも、体調を崩さずにやっていきたいと思います。