仕事だけに限らず、プライベートでも時々思う(実感する)のですが、どうにも相手とのコミュニケーションがうまくいかない・・・という感覚が残ります。それは相手との認識のすれ違いがあったりとか、状況の把握が出来ていないからとか、まぁ背景にはいろいろあるのですが、最中であるその時に感じてしまうモヤモヤ感は結構辛いものがあります。
牛とのコミュニケーションも、まさしくそうです。
背景には「わかって欲しい」。
ただそれだけの欲求(要求)があるのだと思います。
つまりその人が考える「届け」とは、その言葉や思いがその人のところにたどり着き、理解して納得し、ついには心を開く。そういうものなのだろうと思いました。
そう考えると、結構ハードル高いことを求めているのだなぁ。
これを知らずにやってきて、どれだけ白い目で見られたことか。
今でもその余韻は残っていることを自覚しているのであります。
この行動が作品の中であれば美化されるかもしれないのですが、現実ですとなかなか難しい。ましてや直接会話ではなく、通信を使っての文字会話が主流になっている今日では、尚更「届かない」ことに直結しているのではと考えます。
牛の場合ですと、人間以上に届きません。
100%届かないかと言われると、実はそうでもありません。
言葉が通じない(であろう)はずなのに、こちらの気持ちや言葉をわかってて動くケースもあります。それが不思議に思うこともあります。
では人間同士ではどうなのでしょう。
言葉という共通ツールを持っているからこそ、「届く」と勘違いしている節があります。共通するものがあるからといって、考えていること100%がそのまま届く訳ではありません。その仕組みが難しいところですが、そこには感情や心情が影響してきます(これは牛にも言えることですが)。
私の言っていることがわかるからといって、届く訳ではない。
届けるということは、実は難しいのだと改めて感じました。
趣味の一環で落語を聞いておりますが、こういう場合はどうなのでしょうね。
ふと、そんな疑問を抱きました。
アナウンサーなども、大変なんだろうなと感じました。
届けることを職業にしている人は意外に多いと思いますが、日々その難しさに直面しているのかなと思うと、ただただ尊敬してしまいます。
わかりやすく伝える。
難しい言葉を使わないで伝える。
そんな紡ぎ方が出来ればいいなとずっと考え、実践してきています。
毎日失敗ばかりではありますが、面白みを感じることも少なくありません。
今のところは、挫けずにやっております。
上に書いたことは、頭のどこかではわかっていることなのですが、局面に入るとすっとんでしまうでしょうね。そうしてまた自己嫌悪に陥るのです。
どこかで肩の力を抜かないとと思っています。
全部「届く」訳ではない。
届かないのは、しょうがないことだ。
負の連鎖に嵌らないように。
そんな前向きな姿勢がぽろりと抜け落ちる毎日なのですが、日々軽やかに、そして緩やかに、朗らかに過ごすことが出来るよう、気張らずに行こうと思いました。