よく、成功者、栄華をきわめたといった、誰もが羨む人を良くテレビ画面を通してみることがあります。いや、実際に自分の周りにも多少はいたかもしれません。
しかし、ドラマや映画のような展開で、その地位もなくなるケースというのがあります。どれくらいの割合かはわかりませんが、感覚としては顕著に見えます。そのほうがわかりやすいのかもしれません。
そうなってしまう背景はわかりませんが、価値観の変化が一番だと思います。
価値観の基準のようなものを上げてしまいますと、以前の基準に戻すことが難しくなります。最高潮時の基準を維持するためもし、様々なことを決断し行動していたとしたならば、それはひょっとすると苦痛の選択なのかもしれません。
新型コロナによる影響が様々な分野に拡散し、そのような話も耳に聞こえるようになりました。
満足に、という言い方はそぐわないのかもしれませんが、仕事が長続きしない時期が10年間ほどありました。
コールセンター勤めの時はASV(アシスタント・スーパーバイザー)まで役職をいただき、文字通り朝から晩まで働いてきました。その時はまさしく一家の大黒柱たらんと必死でした。そしてその会社を辞めた後くらいから、足元が崩れ始めました。いや、働いていた当時からその綻びはあったのだと思います。
これまで、ひとつの会社での勤続年数は2~3年がほとんどです。
コールセンター勤務が影響していたからなのか、どうにも長続きしませんでした。
他の業界への転職も考えて行動しましたが、他の業界は中々評価してはくれませんでした。
栄華とは程遠い位置に、自分はいたんだな。
当時はそれを悔しがりました。それが原因で拳を握ることが何度もありましたから。
それからまた数年が経ち、異業種への転職が叶いました。
現在の場所は勤続2年目です。
まだまだ油断はできません。
ただ、また大黒柱たらんと頑張ることが出来るようになりました。
お金持ちにはなっていませんし、有名人にもなっていませんが、栄華とはまた別の、格別の生活を送っています。
栄華よりも、平凡な日常がいい。
栄華を求めようとするのはもう(もしくは最初から)無理です。
身体がもちませんね。
今はただ、健康的な仕事をするよう心がけています。
これはもう、個人的な修行のようなものです。
ただ、栄華が散ってもそのときの経験が残ります。
それだけは誰にも奪われません。
そこから以前の栄華に戻ることができる保証はありません。が、唯一信じることのできる財産なのではないかと思っています。
これからも、栄華よりは辛酸をなめることのほうが多いのかもしれません。
驕るよりも、苦しみを忘れないようにしていきたいと思います。