つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

クマと〇〇主義。

先日ですが、録画してあったこんな番組を視聴しました。

 

 

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HBCが制作した、「クマと民主主義」です。

 

予告から気になっていた番組だったのですが、今住んでいるところがクマの多発地域ということもありまして、視聴しました。

 

これからは、個人の考えと感想になります。

 

 この番組の取材先は、北海道内にあります「島牧村」というところになります。

少し前の話になりますが、この村で連日クマが目撃されるというニュースが流れていました。

結果、クマは箱ワナにかかり、猟友会の手によって駆除されることになります。

 

が、ここからがこの番組の焦点となる「民主主義」が影を落としていきます。

 

 

 

 

事の発端は、村議会が猟友会に対して支払うお金が「高い」と指摘したことに始まります。

クマの出没に関連し、猟友会に出動がかかる場合ですが、地域によって支払われる日当(正確な名称はしらないので・・・)は様々だそうです。ただ今回のクマ騒動で、猟友会に支払われるはずのお金は、1,000万円ほどになっていたそうです。これに対して「高い」ということになったようで、村長も最初は周囲に理解を求めていたのですが、どんどん押され、最後は巻かれてしまう形になります。

 

結果、クマが出没しても、その現場に行くのは「役場担当職員」と「警察官」のみ。

そこに猟友会は姿を見せなくなりました(装備をしないで現場にいくことはあるそうで、その場合出動にはなりません)。

 

なぜお金の問題が机上に上がったのか。

住民目線になりますが、「いつまでたってもクマが駆除されない」からではないかと思います。

(クマは主に住宅地で出現していたため、猟銃の発砲許可はついにおりませんでした)

 

クマを駆除できないのなら、猟友会なんて必要ない。

恐らくこんなところから議論が勃発したのではないかと感じています。

 

番組の最後では、猟友会に不利なかたちで条例が改正されてしまったため、役場の求めに応じて現場に出ることはなくなったそうです。おそらく現在も、役場職員と警察官による現場駆け付け、そして爆竹などで追い払うことで対応しているのだと思います。

 

 

この流れを見て感じたのは、「民主主義ではなく資本主義」ということでした。

感じ方は様々ですが、誰も無駄なものにお金を使いたくないと思うのは共通だということです。今回は悲しい形ですが、猟友会はそのような団体だと判断されてしまったということになります。

 

次に思ったのは「民主主義ではなく密室主義」。

地方にありがちな「密室で物事が決められていく」という、一部の人間の権力行使にしか思えない現実がありました。

 

猟友会に対する不信感を村議会議員が持っていたとしても、それが誰なのか、具体的にどんなことなのかはわからない。話を聞こうとすれば、村長に聞いてくれという。なかなかどうして、腹が立ちました。小説に出てくるような人が、テレビ画面に映し出されているのですから。

 

その他、「動物愛護主義」も大きく関係してきます。

単純に言えば、「無駄な殺生はするな」といったところだと思います。救える個体はどうにかしてでも救っていけと。それが責務だという立場かと思います。

 

この考えには共感したいのですが、途中で無理が出てくるように思っています。

クマに限らず、鹿やキツネなど、年々増えている個体はいます。その「個体の増加」をそのまま良いこととして見ていくとどうなるでしょうか?答えはかんたんで、しょっちゅう市街地に動物たちが食料を求めて下りてくるという現象を招きます。理由は簡単です。山や森林に、増えていく個体のお腹を満たすほどの食料を担保できないからです。その展開は、予想がつきます。そのため現在は猟期を設けて対応しているはずですが、実際は個体数の増加スピードが速い、という認識でいます。

 

 

いずれも、かんたんに解決することではないですが、道筋をつけなくてはなりません。

そのためには、何もかもを「人任せ」にするのではなく、自分も知っていくという行動が必要になります。それは忙しさを理由にして拒否するのは許されないくらいに。

だって、政治もそうだと思いますから。

 

知るということで、事実が見えます。そうすると、見解が生まれます。

ネットから流れてくる情報にばかり頼らず、しっかりしたソースから確認する。

そうすることで、「操作」されることは、なくなります。

それが難しいところのようなんですが・・・

 

 

長々と書いてしまいました。

 

 

 

最後に、番組を見て印象に残ったシーンを挙げます。

 

 

 

これも番組最後の方なのですが、条例が変わった後にクマが出没し、警察と役場職員が現場に駆け付けます。

そこに村議会議員が「はじめて」現場を見に来ました。

(※これまでは1度も現場に来ることは「なかった」そうです)

 

 

現場を見た村議会議員の口から出た一言は

 

「撃てばいいべや」(要旨)

 

というものでした。

 

 

 

これは正直、衝撃でした。

取材していたHBCの記者さんの絶句が聞こえてくるようでした。

 

この村議会議員、自分たちが変えた条例と、猟友会のことを「何も理解していなかった」ようです。クマを駆除する際のルール等、何も知らなかったといっても過言ではないと思います。

 

 

 

報道機関に対して「平等な伝え方をしていない」と一方的にご立腹された村議会議員さんもいらっしゃいました。それは誰もがイメージとして持っているものなのかもしれませんが、自分たちも伝えようとしないと、結局内容に偏りが出てしまいます。何も言わなければそのようになります。なので今回の番組は、頑張って中立を目指そうとしたものの、結果猟友会寄りの場面が多数流れます。これはもう、しょうがないと思います。

 

 

その中で、クマが近くにいる生活をどのようにしていくかといった啓発活動をしていらっしゃる方にもスポットが当てられました。クマに食料を与えないようにするための啓発です。この輪は広がりを見せていきますが、大半の村民は興味が薄いように見えてしまうのが残念です。

 

 

 

この〇〇主義、クマによる実害ではなく被害が生まれないと、何も変わらないのだろうか?危険な考えですが、そんなことを考えてしまいます。恐らく、そこまでいかなければ、お金のことばかりに執着せず、この状況を真剣に考えることは絶対にないでしょう。

 

残念な事実ですが、自治体も各家庭もお金がないと生活するのは苦しいです。

しかしそことは別の領域で、命の危険に晒される可能性が高くなってきています。

どちらを天秤にかけますか?と問われても、即答できる人は僅かだと思います。

そしてそういった現場が発生したとしても、偉い人は中々現れません。

大事なのは、紙に書かれていることだけなのかもしれません。

 

どうか、どこかでもう一度、今度は真剣に考えていただく機会が来ることを祈ります。

 

 

 

 

今日は外回りから戻るとき、牧場の敷地内にある町道で、子キツネと鹿を見かけました。いずれも道路におり、車の姿を確認すると路外に逃げていきました。事故があっては大変なので、速度を20km程度にまで落とし、ゆっくりその場を走りました。

 

この個体は増やしたい、この個体は減らしたい、と考えるのは、都合主義になるのだと思います。それがいいか悪いかの判断は正直難しいです。このご時世で判断してしまうことに危うさを感じるからです。クマや鹿は「草」も食べます。しかしこの草、酪農家は「栽培」しているものになります。つまりは食害が生まれてしまうことになり、自分たちの生活にも影響してきます。その辺にあるもの、という考えを持っている方がいらっしゃると思いますが、完全な間違いです。

 

 

いろいろと勝手に書いてきましたが、クマだけをとっても、色んなところに波紋と影響を読んでいます。その現象にどのようにして向き合っていくのか?それは地方だけに限らず、都市部にも今後求められていくことなのだと思います。