「源」は、いっしょ?
どうにも時事について書いてしまいがちなのですが、気になることをひとつ。
今年に入ってから、
いわゆる「あおり運転」
そしてテレビ番組出演者が自死したことで注目を浴びることになった「誹謗中傷」
このふたつ、「いじめ」と同じなのではないか?と思いました。
それぞれの事例はその分野による特殊なものだとは思いますが、そういったものをすべて取り払い、シンプルなシステムとして見た場合、いじめの構造と一緒ではないか、と考えるようになったのがそもそもです。
いずれの場合も、自分を「上」に置く傾向があります。
そして自分が「間違っていない」と根拠のない定義をする傾向があります。
ついには、「自分は悪くなく、そうさせた相手が悪い」と責任転嫁をすることもあります。
自分には一切落ち度がない。
それが「加える立場」の言い分だとみています。
最近では「被害を受けるほうも悪い」という論調もちらほら見え隠れするのですが、これをいじめに置き換えた場合、この論理は「論外」だと切り捨てられた記憶があります。
どんな理由でもいじめはダメ。
その認識が、どんどん抜け落ちてしまっています。
それは若者だけが~という人もいるかもしれないですが、それも最早関係のない話になってきています。全世代、全世界共通の問題であり、課題だと思います。
ただ注意しなくてはならない点として、「あおり運転」や「誹謗中傷」、そして「いじめ」が起きてしまう背景をしっかりと見ていかなくてはなりません。物事の表面だけを見ても、そのへんのニュースと同じ内容で終わってしまいます。最早犯罪とまで言われるようになってしまった現象が悲しくも起きてしまう「源」を、社会から探っていく必要があります。そうしないことには、解決できるものも解決できないのではと感じています。
対人間の課題は、人間でしか解決できません。
大きなことで言えば、戦争や紛争などもそうです。
解決できないことは、ないと思っています。
時間はかからなくても、そして途方もなくかかったとしても。
人任せにせず。
自分たちで解決していくことが、生きていくことのひとつの使命なのだと思います。