4連休は料理と後片付け(洗い物)の連続で終わりそうです。
自分にとっての詩人は谷川俊太郎さんなのですが、とても新鮮な、何だかまったく新しい詩に触れた感覚が残りました。
いつぞやの雑誌の特集で、お名前だけ記憶に留めていましたが、それから数年後に思い出し、やっとこさ詩集を買い求めて目を通しています。最果さんの活躍はめざましいようで、詩人としての現代の可能性をしっかりと証明されています。
この作品以外にも詩集には目を通しましたが、見た目からその表現方法を変えるのは初めての経験で、読み手が戸惑うほどでした。ただ今の段階で言えることは、詩の中にあるどこかの文章あるいは単語もしくは文字が、不思議なほど自分の中に居場所をつくっていくのです。これは凄い、という評価よりも、これこそが詩だよな、と一人で勝手に納得するものであり、頭を下げて感謝する出来事として刻みたい気持ちになります。
詩を詠みますと、自分も詩になる感覚もしくは錯覚を覚えます。
周りがしらけようが、わたしは詩なのだということに満足感を覚えます。
それを放出しても何も変わることはないけれど、持ち続けていると発酵が進むかのようにどんどんと何かが変容していくのがわかります。それは感情の爆発のような、個性の発火に繋がるのではと個人感覚で期待しています。
最果さんを忘れずにいることが出来て、よかったと思いました。