何となくの懸念事項を。
日々の報道や流れてくるつぶやきなどを見ていますと、
「結局同じことの繰り返しを
していることに大半が気づいていない」
と感じてしまうのはわたしだけでしょうか。
新型コロナ関連の報道を見ていますと、何となく「戦時下」における報道体制のように思えてきました。ただ昔と違うことは、「何かしらの規制」をかけている、またはかけられていると感じていることに対し、「世論を形成」する、またはさせることで対抗している図式が出来ているように見えます。そのどちらも純粋な姿ではなく、何かしらの「印象」を定着したいのではという思惑を感じます。
新聞やニュース等、必要な情報は流して欲しいのですが、どうにも昨今は
「世論(時流または流行)」をつくる
ことに各メディアが執着しているように思います。
そこについてくるのは数字そのものだと思います。
誰もが、数字の鎖を引きずっているということなのだと思います。
ただ、その世論(時流または流行)が、正しいものかどうかは別なのです。
流れを生み出してしまえばいい。
そのように考える存在は団体・個人など、数多くいると思います。
ビジネス=収入になりますから。
そして大事な手続き、処理については他人任せにしてしまうケースも多い。
自分は一言で済むでしょうが、処理する側は大変です。
今も昔もなのかもしれませんが、他の人のことをまったく考えずに行動をしてしまう人が圧倒的に多いです。自分が優位に立っていると誇示する人間ほど、裏方の仕事を敬遠する傾向が強いと個人では感じます。
新型コロナの報道から、いろいろと「振り回された」ことに気づいていない人が未だに多い。
いや、正確に言えば、「メディア操作されている」と認識しながらも日々のテレビを見て知らずに移入していまい、テレビ等が定着させたい印象を植え付けられてしまっている、という人が多いのかも。
1日のうちに多少なりともテレビをつけてはいろんな番組を見ますが、司会者のかたの多くは報道する内容を一定の方向で結論づけています。
ずっと続いている政権批判もそうです。
批判を悪いとは言いませんが、何となく、メディアが「政党」に見えてしまいました。
与党でもない、野党でもない、無党派層でもない、見えざる「新党」がそこにはあった。
政界で一番影響力があるのは、この見えざる「新党」なのかもしれません。
新型コロナウイルスの猛威は収まらず、逆に広がっている地域もあります。
そのさなか、同盟国や隣国では色んな国際事情を踏んだ動きが起きています。
このままでいいのかな、と、深く考えてしまった、蒸し暑い1日でした。