つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

令和2年8月の読書感想文④ 空海 髙村薫:著 新潮社

中学生時代に月刊誌「ムー」を読んでいたため、密教をはじめとした、宗教の神秘的な部分に魅入られました。それから機会があれば、先人に関する本を読むようにしています。

 

 

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令和2年8月の読書感想文④ 空海 髙村薫:著 新潮社 八雲町立図書館蔵

 

 

写真を織り交ぜたドキュメンタリーとなっておりますが、作家が先人に迫るものは凄く、ひとつの専門書として捉えても遜色ないと感じます。

 

空海に関する本はそれこそ数多の如く刊行されており、研究も進んでいます。しかし作家と言う視点からひとりの宗教家を定点観測すると、これまでにない文章が生まれてくる。その驚きを目の前にしたときはまさしく声が出ませんでした。逆に出てきたのは、理解でありました。

 

文中にはご自身が取材された元オウム真理教の信者の証言をもとにした考察があり、法律と宗教の関係にも触れています。本筋からは離れたようにも思えますが、ここ最近、国民世論として揺れているこの部分の仕組みや理解が進んでいけば、いわゆる悲劇を回避することが出来るのかもしれません。

 

人はみな、どこかで刺激的な体験を望んでいます。

オウム真理教に限らず、かつて自分がいた創価学会においても、他の宗教についても、脳裏に焼き付くような体験を遺すことを宗教指導者側は望みます。一度その体験をすると、その宗教が社会的にどのように言われているかなどは関係なく、その人自身のその宗教に対する信頼度は定着します。それほど、その体験には裏付ける大きさを含んでいるのです。それをしっかりと理解しようとせず、ただ糾弾するというのは大きな誤りだと感じました。知ったうえで行動を起こしませんと、何もわからないままになります。

 

 

わたし自身は霊感もさほどないし、スピリチュアル的要素も自覚するほどないです。

(ごくまれに向こうからやってくる場合は別として)

しかし、そういった分野であるからこそ、自身が感得したものに対する優越感をはじめとした、特別な感情が沸き起こるのだと思います。それは心理学に通じることなのかもしれません。

 

ただ言えることは、空海が何を考え、何を思っていたのかをブレずに知るには、まだまだ探究が必要なようです。