つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

ゴミはお金になるのか?それともお金になると思わせたいのか?

先週末ですが、衝撃的な報道が入ってきました。

 

 

現在、核のゴミを受け入れる候補地として北海道寿都(すっつ)町が調査の検討段階(表現が難しいですが)に入っていることが報じられました。これは北海道知事をも巻き込んだ、とてもショッキングでリアリティのある、緊迫した流れを生んでいます。

 

しかし、これだけでは終わりませんでした。

その後、今度は近隣にある神恵内(かもえない)村が手を挙げるかもしれないと報じられたのです。

 

 

いったい何が起きているんだろう。

かつては札幌に住んでいましたが、今は地方に住む身として、少し考えてみました。

 

 これまでの報道を見ていますと、寿都町神恵内村も、目的のひとつは「調査を行うことで交付されるお金」にあります。

 

ずっと前から言われていることですが、地方は人口の流出が顕著です。

産業も生まれにくいため、雇用もなかなか発生しません。

そうなりますとお決まりのパターンで、都会で就職するという流れで人の移動が発生します。

 

地方は高齢者ばかり、というのがイメージだと思います。

しかしこの流れを止めようとするのが、移住者になります。

地域おこし協力隊やほかの制度などを利用して移り住む、比較的若い世代がここのこーろ増えてきており、その土地ではこれまでになかった産業、つまりは仕事を創り出しています(または創り出そうとしている)。

 

ただしかし、その流れはマチの経済を大きく変えるというところまでには至っていません。残念ながら限定的です。だからといってその存在は無視できません。少なくとも、違う側から「マチを活性化させる」という目的で起こされた行動なのですから。

 

 

 

さて、「お金」の話に戻ります。

調査を受け入れた場合、その期間中は国からお金が支給されます。

これは決して小さな額ではありません。

地方行政としては、かなり助かる額だと感じています。

 

だってそのお金があれば

 

社会福祉にかける予算も充実させることができる」し、

「そのお金を使って雇用を生むことができる」可能性は高まるし、

「予算がなくて滞っていた事業を行うことができる」という展望を抱くことができる。

 

つまりは、「生活するためにお金は必要」だということ。

そこには「人」も「行政」も、区別をする必要はないと思います。

 

 

しかし、そこに「倫理」が立ちはだかります。

言葉は汚いですが、「そこまでして金が欲しいのか!」といったものです。

今回の場合は、天秤のはかりにかけるものが果たして釣り合っているのか?と考えてしまいます。反対意見は様々だと思いますが、それは「想定」できたことではないでしょうか。そう考えますと、その反対を想定していても表明せざるを得ない背景をしっかり見ていかないことには、何も考えずに反対の声を挙げるのは果たしてどうなんだろうと考えてしまいました。

 

行政も実は日々のサービスに必死です。

しかし、年々予算は少なくなっていきます。

誰もが払いたくないと思う税金は、ここにしわ寄せとして出てきます。

払いたくない税金。反対に充実を要求する行政サービス。

これでは苦しくなるの当たり前。

知ったこっちゃない、では済まされないことだと断言します。

 

広報などで行政の情報などを目にはしますが、議会に行って傍聴する、議事録を見るといった人はほぼいないのではないでしょうか。行政からの発信体制もありますが、関係ないといって知ろうともしなかったことがここにきて重大な局面を迎えました。これは自分にも当てはまるのですが(書けるときが来ましたら書こうと思います)、なんでもかんでも「知らない」では済まされないのです。いつも情報は向こうから勝手に自分の手元にまでやってくるものではありません。時と場合によっては、自分自身がしっかりと動いて、必要な情報を得ていかなくてはなりません。その努力を怠ってはならないということなのです。

 

報道で既に流れていますが、八雲町はこの事態に大きな危機感を抱いています。

近隣の自治体長とともに寿都町を訪れ、意思表明と連携の提案を行っています。

北海道全体を見ても大きな問題であると思いますし、寿都町に近い場所から見ても、とても大きな問題になります。今後が心配ですが、この流れをしっかり見ていきたいと思います。

 

 

 

断捨離という言葉も広まったことから

「ゴミ(またはがらくた)」はお金になる

というイメージがある程度定着しました。

 

ただ、それらすべてがお金になるとは限りません。

ゴミはゴミ、がらくたはがらくたです。

 

しかし、商売人の中にはそれすらも価値をつけて売ってしまう人がいます。

「核のゴミ」はどうなのだろうか?と素朴に思いました。

 

現在、この核のゴミに限らず、自然に還すことができないゴミがとても多くあります。

自分には到底無理なのですが、将来、これらのゴミを分解し、自然界に還す技術が確立することを願うよりほかありません。そういった動きは既にあるのかもしれません。経済の発展も大事です。が、これからの時代に必要なことにもお金をかけていく必要はあると思います。

 

中学か高校の教科書で、「政治をチェックせよ」といった文言を見た記憶があります。

それはつまり国政を指していたと思うのですが、地方行政も同じではないかとここにきて思い始めました。

 

政治も地方行政もとっつきにくいですが、その場所に住む住人として、責務であり義務なのかなと痛感したのでした。