誰かをこけにし、見下し、嘲笑う人には、この写真の凄さがわかりません。
では逆はどうなのか?おそらく前者よりは、この写真を見ようとするでしょう。
他人を意味もなく責める人にも残念ながら生活は存在しますが、
その人生までには責任は持てませんから、どのような生活を歩もうと、それは知ったことではありません。その人の人生の一部に関わっていたからといって、責任を背負う義務はまったくありません。
かつて、いろいろなことを言われてきました。
そのいろんなことを言ってきた人たちも、相応の年齢です。
中にはそれなりの地位にいる人もいるかもしれません。
しかし、そんなことはどうだっていいのです。
だって、苦しんでいる最中から数年経てば、まったく違う環境が訪れるからです。
そのときは、世界の中心ではありません。
だから、まだ生きていく余地は十分にあるのです。
ぼくはその昔、「使えない」だの、「死ねばいいのに」といった表現に代表される陰口や小言を言われ続けてきました。
そして卒業後、同級生が交通事故で無くなり、そのお通夜に行った際も、「お前なんでここにいるんだ」といった感じの視線があちこちから飛んできたことは今でも忘れません。その後カネコくんのことを思い出し、心の中で供養をしている人はどれだけいるのか?定期的に思い出し、供養の心を持つことがありますが、この実際を知りたいものです。他人を見下す人間は、大事なものが大きく欠けていると感じています。
数々の苦しい、死にたい経験を重ねても、いまわたしはここで生きています。
くだらないつながりは既に断ちました。向こうからもコンタクトを取ってくることはないでしょう。これが仮にもし、有名なこととして取り上げられたときにはどうなるでしょうか。そのときには大きな手数料でも支払ってもらおうと思っています 笑。
まだまだ、人生捨てたものではありません。
苦しさはずっとは続きません。
耐えることも大事ですが、しっかりと生きていくことも大事です。
もし死にたいと考え、実行に移そうとしているならば、その手を一度保留にしてください。
明日から死ぬのではなく、生きていく方法を考えていきましょう。
あなたはひとりではありません。
必ず、あなたの味方は存在していますから。