今月はまだ一冊も上げていませんでした。
渡良瀬 佐伯一麦(さえきかずみ):著 岩波書店 八雲町立図書館蔵
帯を見ますと
流浪を余儀なくされながらも、大地を踏みしめて生きる人々の歩み
ー20年の歳月を経て完結し、甦った、傑作長編小説
とありました。
カバー裏の文章には
【海燕】連載の未完の物語がついに完結、単行本となった。
とありました。巻末には、掲載誌の終刊によって中絶していたものに対し大幅な訂正加筆を施し、残りを書き下ろして完結させたもの、との記載がありました。
時代は昭和から平成に移ろうとする頃、これまでのキャリアを捨て、新しい仕事をはじめるがたために移住した、奥さんと三人の幼子を牽引する若き父親の話になります。
読み終わった印象、感想としては、物語は日常を描いており、多少のざわつきはあったものの、はらはらどきどきといった展開に代表されるようなものはなかったと思っているのですが、不思議と、ほんとうに不思議と、読後感がすばらしく、その感覚を忘れたくないと感じていました。
決してハッピーな展開ではなく、苦労の連続を見せられていくのですが、不思議とその文章と表現に引き込まれ、読み手のすべてが移入されていくようでした。秀逸だったのは、主人公が働く工場での職務内容が事細かく記載されていることでした。あまりこの分野には明るくないのですが、すべてはそのような世界へ、これまでのキャリアを捨て、苦労を選んだという選択と覚悟が見えてくるようです。絵にかいたような倹しい生活が描かれており、決して明るい話ではないのですが、不思議とこの世界の重さと柔らかさを感じてました。
こういった光景はもう古臭いと感じている人がいるかもしれないのですが、令和のいまでもこのような光景は確実に存在しています。横文字ばかり並べ立てる仕事が時代を引っ張っているように錯覚しますが、実はこういった縁の下の力持ちがいてこそ、自分たちの仕事も回っていることを忘れてはなりません。自分の指先ひとつで多くの利益を生むことが出来ると自覚している人ほど、こういった人を忘れてはならないと思います。危うさを感じることとして、苦労を毛嫌いして成功しようとする人たちが増えてきたことです。まるで傷つくことを恐れているかのように、失敗は信用情報に影を落とすかのように。
とてもいい作品を読むことが出来た、と思っています。