開けば北海道を代表する獣である「ヒグマ」を筆頭とした短編集となっていました。
北海道砂川市 いわた書店にて自選書
短編集の主題ですが
・羆
・蘭鋳
・軍鶏
・鳩
・ハタハタ
となっており、最後のハタハタのみ魚ではありますが、その動物性を巧みに表現していると感じます。
札幌市でも近年はそうですが、動物の存在が顕著になってきたと感じています。
熊に関しては特にそうで、移住先の八雲町でもその足跡や存在を目視で確認するようになると、その生活圏や生息域とはと考えてしまいます。
都会では住宅地と自然との境界が、人間の視点ではある程度わかりやすくなっていますが、動物にとってはそんなの「関係なく」なってきているように思います。それは古来も同様で、そこに日々を生きる糧である食料があれば、動物はその線を難なく越えてきます。いろんな議論はありますが、目の前に食料をチラつかせ続けてきたひとつの結果が現状なのではと思っています。
蘭鋳以降は脅威というよりは商業的な存在としての動物を扱っていますが、共通に描かれていることは、「その世界」において、特異と得意は通じるものがあり、何かを究める人が少なからずいたことを示しています。しかしその先にはどうしても稼ぎがあり、そこに左右される人も確実に存在します。お金をはじめとした「興味が移る存在」がありますと、その純度であり、技術というものが、一気に萎えてくる様は、何かの衰えと似た狂気さを感じました。
この作品は昭和60年に発行され、その後改版を経て刊行され続けています。
古い作品が長く愛される理由のひとつに、作品を通したいきものとのかかわり方を陰鬱的に描いているところが素晴らしい点にあると思います。
的確な表現ではありませんが、繁栄とは離れた領域で生業を行っていることの意味と現実が、現代の「お金を稼ぐことばかり」考えている風潮に一石を投じているように思えてなりません。お金を稼ぐことは悪いことばかりではありませんが、お金を囲い込む手法や考え方が、段々と純粋なものではなくなってきている、胡散臭いものに落ちつつある気がしてなりません。離れたところからそのようなことを言っったところで説得力も何もあったものではありませんが、生きることと稼ぐこと、いきものがいる世界で過ごすことは何なのかということを考えた作品でした。
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