本日より新年度です。
写真は今朝の東の空。
朝日がのぼりはじめているのがわかります。
この光景にいつも、心が浄化されます。癒されます。
年度末-新年度はじめは何かとバタバタします(書類上)。
なかなか疲れが取れなくて溜まっていくいっぽうですが、元気に過ごしております。
ニュースでも流れていましたが、新入社員が抱負を述べ、展望を語る時期でもあります。この言葉はどこか夢見心地に聞こえるのかもしれませんが、それこそが基本であり、王道であることを忘れないように気を付けていかなくてはなりません。
というのも、先ほどまでとある映画を鑑賞していたときに、セリフで「誰かに褒められる仕事」というワードがあったんですね。その言葉にハッとしたんです。
いまこの世の中に、褒められる仕事はあるのだろうか。
そして、誰かはその仕事に対して褒めてくれるのだろうか。
そんな素朴な疑問が浮かび続けています。
というのも、「褒める」ことをしなくなったのでは、と思っているのです。
どんなに素晴らしい仕事をしたとしても、出てくる言葉は「もっと上を」求めるものばかり。いつからそんなに望みが高くなったのかと疑うくらいです。世の中の風潮がそうなったということは、その予兆はずっと前にあったということ。それは「誰か」の責任ではなく、「みんな」の責任であるように思います(範囲が広すぎますが)。
そしてちょっとわからなくなっているのが、「感謝」と「褒める」ことは、イコールなのかどうなのか、ということです。なんとなくそうではないような感じがあるのですが、わたしたちはどこかで一緒くたにしてきたような感じがしています。
褒めるという事象が起きるのは、ひょっとしたら学生時代までかも。
極端なのかもしれませんが、社会人相手に褒めるというのは抹殺されてしまいました。
「できてアタリマエ」
「それでは満足できない。それ以上の結果を出してもらわないと困る」
こういうことを言う人、多いと思います。
上を求める発言が多い割には、その上の具体性を持っていません。
そうなると判断基準があいまいになるため、上を求める人はずっと求め続けてしまいます。その「上」とは何なのか、具体化できていない恐れがあるからです。そのようなことが繰り返し行われていきますと、発言の内容がネガティブに変わっていきます。そうやって流行や評価の対象がどんどん変わっていきます。それって結構、危ないことではと考えています。
素直に褒める人が少なくなってきています。
そう感じるのは僕だけかもしれません。
これまでの経験として、他人の職業について悪態をつく人はどこにでもいます。
その根源はどこから来るのかわかりませんが、そうなってしまう原因のひとつには、その人も褒められていないのではという懸念があります。褒めることによって、歪みや軋みというのは取れていく気がしてならないのです。僕も気を付けなければならないです。
この時期は例年、誰かの役に立ちたい、胸を張ってできる仕事にしたい等、様々な気持ちを胸に秘めた、純粋な人たちが一歩踏み出すときです。その気持ちをつぶすのではなく、上手に育て、確固たるものにさせていくことこそ、社会の役割なのではと思います。