つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

令和3年6月の読書感想文② 弱者の勇気 栗城史多:著 学研

栗城さんの本ですが、次にこちらを読みました。

 

 

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弱者の勇気 小さな勇気を積み重ねることで世界は変わる

栗城史多:著 学研 八雲町立図書館蔵

 

次は出版社が変わっていました。

なお、写真にある付箋は読者(ブログ主)が気になったところを貼っています。

 

構成としては写真プラス文章で、今回は文章の量がかなり多くなっています。

しかし多いと感じる反面、内容はとてもシンプルなものに感じ、読みづらさを感じない一方で、前作ほどの熱量は感じられませんでした。かといって冷静さが垣間見えるというわけではないようにも感じています。

 

 

幻想と現実は表裏一体では

 

メインは「言葉の幻想から心を解き放つ」としたチャプターで綴られた言葉のように見えます。先頭の語句に対する辞書の意味を引用し、自分の言葉で語っていく。世間一般の意味ではこうだけど、ぼくならこう捉えるよといった意思表明でしょうか。そんなところに自己啓発的な、自分を奮い立たせる言葉を選んでいます。

 

不思議な感覚なのですが、すごく現実的なことを言ったと思ったらかなりスピリチュアルな発言もされています。それは相手が山だからなのだと思うのですが、自分の感覚をすごく大事にしていると感じました。多くの方がご存じではないかと思うのですが、スピリチュアルの何が正しいかは正直わからない状態です。その霧の中でこれが正しい!として動くのは、ひとつの賭けではないかと個人では考えます。

 

 

 

人間であることの証明

 

読み進めていって、「ん?」と思うところがあったので、付箋を貼っていきました。

というのも、発言に一貫性がないのではと思ったのです。

解釈はそれぞれかと思うのですが、自分が疑問に感じた点を挙げます。

 

〇2006年ビンソンマシフに登山した際、単独での登山は手続き上認められず、他のグループに同行して登ることになります。しかしそれが納得いっていないのか、最後尾で栗城さんは号泣します。そのトリガーになったのは、その隊のメンバーが笑いながら、楽しそうに登っているからだと書かれておりました。(本書76P)

 

〇登山で最も危険なのは、執着することと書かれています。(本書180P)

 

〇楽しめているかどうかはひとつの判断基準なのだと書かれています(本書227P)

 

この3点を見ると、2006年の登山で彼が号泣した理由がわからなくなってしまいました。言うなれば彼は単独で登ることに「執着」していたのではないかと考えられるからで、そこには相手が楽しんでいるかどうか「よりも自分が」楽しめているかどうかが重要という点も垣間見えてきました。

 

正直こういったブレのようなものは、彼だけにあるものではないと思います。

ぼくにも、他の方たちにも、こういったものはあると思っています。

その背景には、当時の彼なりの苦しみがあったのではないかと想像しています。

単純に山を登ることだけできていれば、熱量は前作を上回るものであったと想像しますが、本作では言葉でそれをカバーしてきたように思います。

 

彼が悪いわけではないのですが、周りの環境が大きく変わったのだろうなと思いながら、読み進めました。