つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

【詩】受話器越しの

いまは文字で確認することが多くなったけれど

 

昔は電話が主流で

 

良い報せもそうでない報せもぜんぶ

 

受話器越しの声が教えてくれていた

 

どこを伝ってくるのか以前はよくわからなかったけれど

 

道路わきによく見る電線の中にある1本の線が

 

どこにでも声を運んできてくれていた

 

思えば小さいころから

 

受話器越しの声に喜び 受話器越しの声に泣いてきた

 

 

 

今でも電話は主流なのだろうか

 

仕事で電話はするけれど

 

プライベートで電話をすることは減っていった

 

携帯なんてものがない時代には

 

相手の家に電話をかけるしかなくて

 

相手の親の応対をどうこなすかが第一関門だった

 

そんなスリリングを今のひとの多くは知らないのだと思う

 

 

 

しばらく連絡が取れなくなっていた人からふとしたときに声が届くと

 

やはりそれはどうしようもなく嬉しくなる

 

そしてほっとする

 

元気でいてくれたことに 不謹慎だけれど生きていてくれていたことに

 

その事実に泣きたいはずなんだけれど

 

表情はどうしても別の選択をする

 

それは相手に気づかれないためのせめてもの抵抗で

 

本当は飛んで跳ねて喜びを伝えたい

 

その反面の悲しいことはとても痛烈で

 

淡々とした時間が過ぎていく

 

事実だけが述べられていき

 

これからの予定が告げられていく

 

人権やら義務やらはそっちのけで

 

物事がどんどん進んでいく

 

その雰囲気は受話器越しでもよくわかる

 

それがわかってしまうことがとても辛い

 

受話器越しの声はいつも不意に耳元で囁いてくる

 

 

 

この世界のあちこちで

 

色んな声が飛び交っているけれど

 

ぼくがただ伝えたいのは

 

きみの声が聞けてよかったということなんだよ

 

どんな声でもいいから

 

また今度聞かせてよ