つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

きれいごと。

「おかえりモネ」を観ていますが、今週特に引っかかったのが、「きれいごと」という言葉でした。これは主人公が地元に戻り、気象予報士として「地元」で役に立つ仕事がしたいと躍起になっているときに放たれた、同級生からの痛烈なひとことです。

このひとことに対し、主人公は「わかってる」と言いました・・・

 

このシーンを観て、誰かが誰かに抱いている「きれいごと」の気持ちを確認せざるを得ませんでした。

 

 

きれいごとって、つまりは?

ネットで「きれいごと」を検索しますと、以下のような解説がありました。

 

 実情にそぐわない、体裁ばかりを整えた事柄。「もはや綺麗事では済まされない」「綺麗事を並べる」
 手際よく美しく仕上げること。

デジタル大辞泉より

 

① 手ぎわよく美しく仕上げること。また、よごさないできれいにすますこと。
② 現実を無視して、表面だけを取り繕うこと。体裁を繕うこと。また、体裁ばかりで現実味のない事柄。
③ 手などをよごさないですむ、楽な仕事。
※精選版 日本国語大辞典より
 
ふたつ解説を載せましたが、ドラマ上のセリフの印象からすると「表面だけ」「体裁ばかり」ということを含めた発言だったように思います。もちろん、皮肉を込めているとも思えます。だってこの発言をした人間は、主人公のことが好き(だった?)なのですから。
 
 
きれいごとだと自覚しているか
これはドラマに限らず、実際の場合でもなかなか自覚するのは難しいです。
よって、ドラマの主人公も「わかっていない」と見ています。
流れで、気圧されてという具合で、つい「わかってる」と言ってしまったのではないかと思います。
 
 
 
きれいごと=できっこない
 
恐らく、そんなのきれいごとだろと言う人は、そこに込めた意味としては「そんなのできっこないだろ」というものだと思います。「適当にやって満足したいだけでしょ」という視点にも取れます。きれいごとという発言が出てしまったのでかなりざわつきましたが、このことばを言わなくても、日常でもこの言葉を想定させる場面は無数にあるように感じます。
 
 
 
きれいごとだと言われても。
きれいごとの意味は、時間が経つにつれ痛感してくるものです。
自分の想いとは裏腹に、人々はその姿勢や行動をなかなか信じてくれようとはしません。
何かをぐっと引き寄せるのは、難しいことであり、そしてとても大切なことでもあります。
 
今週の金曜日の放送ではひとつの結果が生まれましたが、そこまでの道のりはとても不穏なものでした。演出上すぐに結果が出ていますが、実際問題として考えると、そこに行きつくまでもしかすると年単位の時間がかかる可能性もあるのです。
 
 
このきれいごとを覆す方法は果たして何でしょうか。
積極性も重要です。
生活に即した提案も重要です。
信頼の礎となるデータなどを「自ら」分析等することも重要です。
そして、責任を持つことです。
 
天気を予報することは、現代ではかなり進んでおり、精密な予報が出来ると思っています。その反面、あくまで予報であるため、その予報が違ってくるというリスクを抱えています。
 
「予報が外れたら天気のせい」
 
自分のせいにしない(おそらくそんなことはないと思います)姿勢が垣間見えたからこそ、同級生は「きれいごと」と言ったのではないかと少しだけ思いました。
いや、もっと他の理由があるかもしれないです。そこはおいおいわかってくるのかな。
 
 
 
 
たぶん僕も「きれいごと」だと陰で叩かれたと思う。
 
このシーンを観て思わず振り返ったのが、「地域おこし協力隊」での活動です。
目的ですが、かなり大雑把に言えば「マチをよくする」です。
細部の目標はその自治体や所属先によって異なりますが、周りから見ている人から見れば、なんのこっちゃわからんという場合も多いです。
 
何だかよくわからないことをやっていて、最後までやらずに任期を迎える。
時間の制限があることは仕方のないことなのですが、そういった点などに対して、人は「きれいごと」と思ってきたのではないかと思います。
 
自分がやってきたこと(協力隊としては1年間)がきれいごとかどうかは、意見が分かれると思います。そして、自分では自分のやってきたことが「きれいごと」かどうかは、正直答えられません。ただただ、一生懸命やってきたとしか言いようがありません。そのため、1年間は本当にあっという間でしたから。
 
 
 
ネット上でも今週の「きれいごと」はかなり議論を呼んでいるようです。
ぼくは自分自身の経験から感じたことを、振り返りの意味も込めて綴ってみました。